''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「よかった探し」と『ポリアンナ物語』

ポリアンナ物語』というのをご存知でしょうか?

正確には『愛少女ポリアンナ物語』といいます。
愛少女ポリアンナ物語』(あいしょうじょポリアンナものがたり)は、日曜日7:30より、フジテレビ系列「ハウス世界名作劇場」の枠で放映されたテレビアニメである。
放映期間は1986年1月5日から同年12月28日までの全51話。

ムーミンから続く一連のカルピスこども劇場、「アルプスの少女ハイジ」、「フランダースの犬」、「母をたずねて三千里」、「ペリーヌ物語」(こちらは私のブログで紹介済みです。)、の後編の作品です。

作品は二部構成からなっています。

第一部では、父の突然の死により、叔母に引き取られた主人公のポリアンナが、徐々に周囲の人間たちを感化していき、自動車事故により足が動かなくなったポリアンナが、再び自分の足で立ち上がれるようになるまでの話を描いている。

なお、この原作からPollyannaという言葉が「極端な楽観主義者」を意味するようになり、心理学分野で「ポリアンナ効果」「ポリアンナ症候群」という用語が生まれた。(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』参照)

私は時間の都合で一部の前半ぐらいまでしか見れませんでしたが、多くのことを学びました。

まず、よかった探しです。
どんな状態にあろうと何かしら良いことを探して幸せを感じるように日々努めます。

この数年前に、事故で半年間入院生活を余儀なくされていた私には共感できるものがありました。
同じく足の複雑骨折で歩行することすら出来ませんでした。
今では見た目には普通に歩いています。

そのときは一生車椅子か、杖を必要とするのか考えたものです。
ポリアンナと立場が近かったんです。

数ヶ月歩行すること出来なく、初めて立てたときの感動、初めて歩けるようになったときの感動は今も忘れません。
震えるように歩いた一歩は人生2度目の一歩でした。
一度目は子どもですから覚えていません。

しかし、二度目はしっかりと覚えています。小さい一歩でしたが、心に深く刻まれた一歩です。
あの感動を私は忘れていません。
普通に出来ることが、これほど感動するなんて、ちょっとビックリでした。
ささやかな幸せと感謝の気持ちは持ち続けています。
生きているだけで幸せですよ。

ポリアンナよかった探しはささやかな出来事から、苦しみや絶望の中でも、よかった探しを実行します。

これはすごいことです。ポリアンナの父は牧師さんです。
キリスト教的なものの考えが根底にあるのかもしれませんが、仏を信じる仏教徒にも共感できる歓喜です。
喜びであるが故に、見返りを求めず、癒されるんですね。
宗教の本質はこの歓喜が大きいと思います。

ポリアンナは、どんなに苦しい状況でもよかった探しを続けます。

私で言えば、事故で長い間入院を余儀なくされましたが、命があったんです。
良かったじゃなんですか。
ラッキーでしたよ。

今どんなに長くても3ヶ月程度しか入院させてもらえません。
半年も病院に住んでいたんです。
ラッキーでしたよ。

ケガをして、体を不自由にした分だけ、'''健康で普通に暮らせるということが、どれだけ幸せであるかということが骨身にしみました。
今こうしてブログ書いてます。幸せじゃないですか。'''

人より低い目線になることは、なかなかありません。
でも、低い目線になって初めて見えてくる真実もあります。

裏表の裏が見えることがあります。
そんなものかと気にはしません。
でも、知っておく必要なことも勉強になります。人のこころです。
言えないこともいっぱいありますが、痛風と同じです。

一病息災です。

常に最悪のシナリオも考えておくことも必要です。
その中で、何かに比べてよかった、幸せであったとと感じることも良いことです。
しかし、本質的に今ここにいることの幸せを感じること、生きているのでなく、何かの力で生かされている事を感じる幸せが必要です。

「感謝」の気持ちは常にそれを思い出させてくれます。
無意識のうちに「感謝」していますよ。

ポリアンナ物語』から学んだ「よかった探し」は、今も私の生活の中で実践しています。

ささやかな幸せを「おすそ分け」できれば良いのですが、最後までお付き合い下さってありがとさんです。