''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

心の平静と禅の「無」知

日々生活していると煩(わずら)わしい事がいっぱいあります。イライラとします。

私は、結構短気です。人からそうは見えないとよく言われますが、関西で言うところのイラチです。人に対してでなく自分に対してもイライラします。

上手く行かないのが人生です。それも分かっていますが、日々の雑事に仕事にと、心が収まらないことがあります。みなさんも、日々いろんな悩みごと、困りごとにストレス感じながら生活されていることでしょう。

気分を変えるのも一つの方法です。しかし、何をやっていても楽しめないまで、気持ちが達してしまったら、なかなか心の平静を保つことは難しいです。
上手にストレス解消できなければ、気が病みます。まさしく病気です。

どんなに頑張ってもストレスはなくなることはありません。なら、考え方を変えるようにしています。上手に付き合うんですよ。心のスイッチをオン・オフにします。

時に精神世界の茶道なんかそうかもしれません。茶室には日常を持ち込まない。

禅の言葉、つまり禅語で言う「放下着」(ほうげじゃく)です。心のわだかまりを茶室の外で脱ぎ捨てる。裸のつもりで茶室に入り、無心に茶を喫茶して味わう。

無心の境地に近しいのかも知れません。今の目の前にある茶を飲む。主(あるじ)と客(きゃく)の精神の交わりです。言葉は要りません。ちょっと憧れる世界です。

現実に帰って来てください。
そんなことをやれる人は一握りです。でも簡単に誰にでも費用をかけずに、精神的な無を作り出す方法を紹介します。

心を無にする方法を子供の頃に教えてもらいました。低学年の担任の先生が禅寺の和尚さんでした。夏休み遊びに行って座禅をさせてもらいました。子供に難しい話は無理です。

でも、先生は子供にも分かりやすく教えて下さいました。

まず、目を閉じる。心穏やかになるように、深呼吸して息を整える。
次に、1から10をゆっくりと数えます。10になったら、また1から数えます。これを繰り返します。何度もゆっくりと繰り替えます。

数すら数えていない自分がいることに、ふと気づくんです。

何もしていないです。人の事も何も気になりません。空気のきれいな森の中でひとり座っているような感じです。また、数を数えだします。ゆっくりと数だけを数えます。

少しすると私の言った状態になれます。10から20分でなれます。早いときはもっと早くこの状態になれます。あとがさわやかです。これを求めに禅寺に座禅をしに来るんでしょうね。

禅の修業している人を数分でこの状態になれると聞いたことがあります。
何も知らない素人の無知です。お叱りはごもっともです。

もちろん寝ているわけではありません。板の間なら針が一本落ちただけで、その音に気づきます。意識が覚醒しているんです。研ぎ澄まされているんです。

なにも遠くの禅寺に行かなくても、一人机に座っていても、気にしないなら電車の中で座っていても出来ます。始めは静かなところに行ってされること必要ですがね。

トイレでもお風呂でも出来るはずです。

目を閉じて、ゆっくりと1から10の数を繰り返して数えるだけです。

こころを落ち着かせる気持ちがないと出来ません。
「整息の術」で呼吸を整えてからされるとこれを体験して頂けます。騙されたと思ってやって下さい。

心すっきりしますよ。癒されますよ。

くれぐれも3や3の倍数で、アホになる必要はありません。

今日もいろんなことがありましたが、何とか過ごせました。生かされたんです。ありがたいです。
「感謝」の気持ちを感じることで、もっと心の平静を持つことが出来ますよ。

今日もながながと最後までお付き合い下さいまして、ありがとさんです。