''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

客としての品格

レストランや喫茶店と飲食店に入る機会は多くあります。
店舗の方もマニュアル化した店もあれば、家庭的な店もあります。それぞれの持ち味によって足を運ばれる客層も大きく変ります。

不思議と高級店に行けば行くほど、店側が横柄になり、客がへつらうこともあります。でも、常連客となると、また逆でわがままな客に変わる事も多いです。

一見の店でも、偉そうに振舞う客が多いのが事実です。社会的地位の高い人ほどこの差が大きく出てくることを嫌と言うほど目の当たりにして来ました。また、逆の例もほんの少しですが見て来ました。

人の身なりや社会的地位で、一律に分かるものではありません。

そこには客としての資質や品格が問われています。偉そうにする方に「気遣い」と言う言葉は見つかりません。年配の方に多いです。周りのお客さんにも気遣いは出来ていません。恥ずかしいと言うか客としてでなく、人としての品格を疑います。

客である以上多少のわがままは当然かも知れません。何せ代金を払うのですからね。

でも、代金を払ってやっているのか、払わせてもらっているのかは同じ行為でありながら、客の考えによります。

代金の支払いと同時に「ごちさうさまでした」の言葉必要だと思います。そこに「美味しかった」「また来ます」の言葉を添えるかどうかは、店の評価になります。20分も居られない居心地の悪い店でも、「ごちそうさま」の一言は必要かと思います。

中には代金を払う段になって、不愉快極まりない態度をする店もあります。こちらは論外です。店としての品格に欠けている場合もあります。でも、大丈夫です。半年後、一年後にはその店舗は無くなっています。

客としての一番の武器は二度と足を運ばないことです。

最近若い方がお店側に対して「ごちそうさま」や「ありがとう」と言う意味が分からないと言ったのをよく聞きます。客が店に対して礼を言うのはおかしいと言うんです。
育ちの悪い子供です。可愛そうな気持です。気遣いをすることを教えてもらわなかったんですね。客として失格です。

子供が学校に遅刻するは先生が起こしてくれなかったのが原因だとする何チャラ(モンスター)ペアレンツに育てられたのかも知れません。

社会に出て、人間の育ちが出るほど哀れなことはありません。どんなに社会的地位に立とうが経済的に成功しようが、誰も教えてもらえずにこの世を後にします。来世は厳しくなると思います。

そこには、軽蔑という目に見えない視線をずっと浴びながら日々の生活を過ごすことすら気づかないんですね。

外で食事しようと何か買おうと、提供して頂いたサービスと心遣いには「感謝」が必要です。代金はその対価です。

払ってやるのでなく、払わせてもらっているそういう謙虚な気持が必要だと考えます。

10人10色、いろんな考えの方がおいでです。

一歩引いて謙虚に感謝の気持を持って生活すると心が穏やかで豊かになると思います。

これが幸せのコツだと思っています。テクニックだけでなく気持を少し変え、考え方を少し違った方向から見ることも必要です。

事実に変化はありません。後はあなたの考えと気持だけです。

日常生活の多くのことが心地よくすごせるような気がします。

今日も「感謝」のスパイス効かせて下さい。
最後まで読んで下さった方、本当にありがとさんです。