腹八分目などと常に食事は満腹を感じないようにすることは、健康を考える上で大切なことです。昔から言われることには納得することが多いです。
現在は飽食の時代と言われる食の時代です。
現在は飽食の時代と言われる食の時代です。
欧米化並に食事も肉中心になりつつあります。その反面、コレステロールなどから魚も人気のある時代です。
今、食の粗食を見直してみたいと思います。特に健康の面から考えます。
禅の修業しておられる僧侶は、食事も修業と考え、特に肉食をせずに野菜中心の粗食です。
禅の修業しておられる僧侶は、食事も修業と考え、特に肉食をせずに野菜中心の粗食です。
そのため高僧の中には100歳近くまで長生きされる方もおいでです。
やはり、粗食を旨として、生きていけば長寿になるのかもしれません。
やはり、粗食を旨として、生きていけば長寿になるのかもしれません。
食べる量も少ない目にし、カロリーも抑え目で塩分も少ない目のちょっと病人食のような気もします。味を薄くしてそれに慣れれば、血圧の安定を期待できます。でも、禅の僧侶は、塩分の濃い漬け物を主食か?しています。漬け物だけは塩分が濃いですが、後は極めて薄味です。
物を始末する。ごみを出さない。食材は捨てることなく、食べつくす。
エコの現在でも充分に対応できるすばらしい食に関する考えです。
エコの現在でも充分に対応できるすばらしい食に関する考えです。
肉を食べなくても充分他のもので栄養を取ることが出来ます。ベジタリアンのスポーツ選手もおいでになるくらいです。豆腐は良質のタンパク質です。大豆は畑の牛肉です。
体に良いです。
「まごわ優しい」でも紹介しています。
でも大切なことは、粗食とひもじいは大きく違います。食べることは生きることです。いっぱい量を食べないことと必要不可欠なものを食べないことも違います。
必要な栄養素はしっかりと含んだものを量的にコントロールして食事するこれが粗食の精神であると考えます。
人間の体には自分の体内で作ることが出来ないものがあります。不可欠アミノ酸などはよく知られています。食べなければ生きていけません。
食はもっと尊い人間の行動の一つです。よく考えて食する必要があります。その意味では禅の修業のような粗食とは少し違う粗食が必要かも知れません。
肉も野菜も魚もバランスよく頂く人間らしい食事、それでして必要以上に摂取しない、それが現代の粗食なのかもしれません。もちろん、粗食の「そ」は要素の素でもある必要があります。(確か『美味しんぼ』でも取り上げていましたね。長寿のテーマでしたか?)
素には科学的に根拠が必要です。人が生物的にかつ医学的に必要な要素を上手に取り入れて食事することが必要です。
そこには、四季の旬と言うものも要素の一つであると思います。
暑い時期にはそれに対応した食材を口に入れる。寒い時期には体を温める食材を口に入れる。自然と共に生きるこれも必要な生きていく要素です。
粗食を考えることは、旬の食材を考えることでもあります。
暑くなってきましたが食欲が湧かず、冷たいものばかり食していませんか?
暑いときには逆に熱いもの食して体のリズムをリセットしてやる。これも大切です。
暑いときには逆に熱いもの食して体のリズムをリセットしてやる。これも大切です。
エアコンの中で生活することも便利です。でも、本来の夏を少し感じることも体には良いですよ。体に涼を取る食材いっぱいあります。
体の中から涼を楽しめるのは、この時期の旬でしかありません。
体の中から涼を楽しめるのは、この時期の旬でしかありません。
今日も元気で過ごせますことに「感謝」したいです。
今日もながなかとしたブログお付き合い下さいましてありがとさんです。