''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「南方録」に学ぶ。  「秘する花」編

物事には秘伝、秘事、極意と称する特別の法がよく言われます。
秘密にしないといけないような、人に言えないような出来事なのか疑問に持つ反面そこに引き込まれるのは人の常です。

室町時代の初め頃、観世座の世阿弥元清が著した『花伝書』の中でこの秘事についての件(くだり)があります。

秘すれば花なり、秘せずんば、花なるべからず」という名言を残しています。

芸事に極意、秘術、秘事を「花」と表現しています。
芸事に携わる者は、この「花」を得んと芸道に精進します。
この花を得てしまえば何てことないものかもしれません。それなら初めから公開してしまっても良さそうなものであるけれども「秘する」所に極意がある。

「花」は秘するところに「花」としての存在価値があるのでしょう。

意図的な「秘事」なのか一巡して見る目を養った上での何たることのないものが「秘事」に感じるのかは、芸を極めた者しか分からりません。

お茶の世界には秘事はないと言われます。
ただ、「夏はいかにも涼しきよう、冬はいかに暖かきよう、炭はお湯のわくよう、お茶は服のよきようにする。ただそれだけのことである」
これ以外の極意はないとされているようです。

この言葉は南方録に出てきます。
利休が人から茶の極意を尋ねられたときに言われたようです。

この会話を横で聞いていた笑嶺和尚が「諸悪莫作 衆善奉行(しょあくまくさ しゅうぜんぶぎょう)」と白楽天と道林和尚の故事にちなんで述べられています。
白楽天と道林和尚の故事←ブログで紹介しています。

「悪いことをするな、善いことをしなさい」ということです。
分かっているけど、することは大変むずかしいことです。

茶の道も極意を聞けば簡単そうですが、それを形にする、形に表現する。気持を表現する。
どうすれば良いのか分かりません。簡単のようで大変難しいのでしょう。

私はお茶のことはよく分かりません。喫するくらいならできます。でも、それも、気持は表現して人に不愉快を与えず飲めるかと言えば疑問があります。
すべての物事に通じる先人の言葉です。
何度も、何度も、趨勢(すうせい)しても本質にはたどり着けません。

「南方録」「南坊録」と言い方に諸説ありますが、私は「茶は南方の嘉木なり」の一文から南方録と表記させてもらいます。専門方の先生からのお叱りもここではご容赦下さい。

「『南坊録』 中村直勝著 浪速社」を参考にさせて頂きました。
この本面白いんです。
何度読み返しても記憶に残るフレーズがいくつもあります。

感動する話もあります。
機会があれば一緒に感動しましょう。

もっとも良かったのは「宮本無茶師」の話です。
不覚にも一筋の涙が流れました。
心の琴線に触れました。

こころに届く本や話に触れることが出来たことに今日も「感謝」です。
最後まで読んで下さった方にもお礼申し上げます。
ありがとさんです。