''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

涼菓 『若鮎』に涼を感じる。

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伊藤軒は京都島原にある御菓子さんです。

ここの涼菓 若鮎を会社の上司に頂きました。名前も形もよく知っている和菓子ながら今まで食べる機会を得ていませんでした。

ちょっとびっくりです。鮎の形に作られています。尻尾もちゃんとあるし腹びれもちゃんとあるんです。こだわった菓子です。

形からすると餡が入っていると思ったのですが、餅がはいっています。甘い餅が餡の代わりです。甘すぎないですね。甘さが足らないと言えるくらいですが、素材の持ち味、皮の香りがとてもよく分かる和菓子です。涼感じます。

鮎と言えば鮎の塩焼きです。この時期、会席料理にはよく出ます。
先日会社の食事会でもご馳走になりました。鮎の塩焼きには蓼酢(たでず)が相棒です。なんともへんてこな味に付けて食べない方もおいです。

「蓼(たで)は蓼(たで)食う虫も好き好き」のあの蓼です。大変苦い草です。川に生えています。これを当たり鉢で当てると物凄い香りがします。これに酢を加えて作ります。この酢も三条の『千鳥酢』と来れば相性ばっちりです。

素人が使っても料理上手になります。味も大変良いですが、大変すっぱいし、臭いがきついです。でも味は最高です。京都の多くの料理屋さんで使われています。小瓶を買ってくることもあります。

蓼はこの時期しか食用には適しません。
それでもこんな苦い草を食べる虫がいます。でも、そのためその虫は生き延びてきたのです。誰も食べないからこそ誰もやらないからこそ成功にたどり着けたのです。
人生訓のようなものすら感じます。富や名声だけが求める対称でないようにも思えます。

鮎の塩焼きと言えば、塩化粧された焼き目の付いた鮎の塩焼きを思い浮かべます。

長い間、鮎の塩焼きに焼き目を付けないのが料理の世界の常識でした。しかし、この禁を破ったのが吉兆の創業者・湯木貞一であると聞いております。

創業者・湯木貞一は神戸の料理屋「中現長」(現在は存在しません)の息子であったが家を出て、1930年、30歳のとき、大阪市西区新町にて「御鯛茶處吉兆」を開業した。狭いごく小さな店舗ながら、料理の良さはもちろん、店のしつらえも食器の類も洒落た小料理店であった。開店日には一人も客が入らなかったという逸話もあり、そこから現在の吉兆を築いた背景には湯木の才能があったと言われる。(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』一部抜粋)

先人の偉業も何もかも汚してしまったおろかな出来事がまだ記憶残っています。

湯木貞一は茶の世界にも造詣が深く、茶事と料理を深く研究された偉人です。何があろうとも、その偉人の功績は賛美されるものです。料理の歴史を大きく変えた人物でもあります。

鮎一つとっても、そこには歴史があり、その歴史は繋がっています。誰一人欠けても存在しないのが現在です。何が構成に反映されるか分かりません。

今ここに存在するのは偶然でなく必然です。天命を心静かに行うのみです。
生きているわけでなく、生かされていることに感謝したいです。

今日もささやかなブログにを感じてもらえば満足です。
最後まで読んで下さってありがとさんです。