''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「姫りんご」の「姫」に魅せられて。

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暑さもまだまだ厳しい折、花も暑さに負けず咲いています。
野辺に咲く花も、名も知らぬ花です。きれいな花をつけています。
じっと足を止めて、何気なくそれを眺めてしまいます。
でも、花はがんばって咲いたりしてません!。なすがままに咲いています。
その姿が凛として美しいです。

花はいいです。心を癒してくれます。
時にそれなる花の結晶が実を付けます。
昨日、ホームセンターの花の陳列の中に「姫りんご」を見つけました。
もちろん、まだ小さな青い実をつけています。人差し指の第一関節ほどの大きさです。

何気なく数分ほどじっと眺めておりました。
飽くほど眺めて心のバッテリーが充電出来ました。
私の好きな言葉「逢花打花 逢月打月」(花に逢うては花をたし、月に逢うては月をたす)が思い出されます。

小さな青き実にそれほどの力があるとは思えません。でも、見るとふと心が安らぐんですね。何なんでしょう。

「姫」という言葉には単にお姫様という意味だけでなく、小さく可愛らしいものという意味もあるでしょう。愛らしいものかもしれません。

外国の言葉にも、同じようにプチとかミニとかがこれに当たります。
一昔、プチトマトと言わずに、ミニトマトと言っていたように記憶しています。
でも、今はプチトマトの方が定着しているような気がします。スーパーに行っても「プチトマト」の表記になっているように思われます。

初めて食べたとき、へんな味と感じたのを覚えています。あまり好きな味ではありませんでしたが、最近のプチトマトとかフルーツトマトと言われる小さめのトマトも美味しく頂けるようになりました。トマトは少し青臭い味がするものです。

子供の頃、我家の畑のトマトの弦からトマトをもいで食べた記憶があります。独特の青臭い香りと食感、ゼリー状の青い種と野菜と言うより果物に近い感覚でした。その青臭さは今のトマトにはありません。個性がなくなったと言うことも言えますが、食べよくなったのも事実です。

姫リンゴもお祭りの縁日の赤や青やのリンゴ飴のイメージがあります。飴の甘くてもりんごの旨みを感じた記憶は残っていません。ただ、食感が残るのみです。

りんごも昔懐かしいりんごでなく、食べよくなったりんごに変わったように思えます。
西洋では、「りんごが赤くなれば、医者が青くなる」と言われるくらい、健康にはよいものです。でもあまり食べる機会がありません。その代わりにトマトよく頂くようになった気がします。

サラダにても、料理の付け合せにしても、プチトマトは合わせ易いですね。
彩りもきれいです。

何となく姫りんごの「姫」という言葉に癒されていたのかもしれません。姫りんごを見て美味そうとは感じないですものね。

皆さんにとって「姫」の存在はいろいろだと思います。子供さんであったり、ペットであったり、もしかしたら食べ物であったりと様々です。

心癒す時間や空間が必要です。時間的なものではありません。心のバッテリー充電する精神的なものです。1分でも5分でも10分でも構いません。心落ち着きます。

そのときだけ、暑さすら忘れています。ありがたいです。感謝します。

最後まで読んで下さった方にすこしでも心に涼しい風が吹けば、何より幸いです。
ありがとさんです。