''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

赤羽刀と名刀「童子切 安綱」

本日8月15日は、終戦記念日です。

 

国のために内外の人の尊い命が犠牲になりました。
そのため現在の日本の平和があります。
こんな現代の日本のために命をかけられたかと思うと心傷むこともあります。
より良い日本にすることも、後世の私たちの使命です。

 

心よりご冥福と平和の有り難さを今一度考えるとき、それが8月15日の終戦記念日でしょう。合掌。

 

みなさんは、赤羽刀いうのをご存知でしょうか?
 昭和20(1945)年9月、当時日本を占領していた連合国軍(GHQ)は、日本の武装解除の一環として全国に刀剣など武器類の提出を命じました。
 こうして接収された数十万口の刀剣類は、当時赤羽(東京都北区)にあったアメリカ軍の兵器倉庫に集積されました。
これらは,のちに日本に返還されましたが、関係者のあいだでは「赤羽刀」と総称されて、長らく公開が切望されていた刀剣類です。

 

 さて,その赤羽刀は昭和22(1947)年、関係者の努力によって、美術的価値の高いもの約5500口が日本に返還されました。
その後、元所有者への返還が始まりましたが、4500口を越える刀剣類が所有者不明のまま東京国立博物館の収蔵庫で保管されてきました。

 

 ところが戦後50年にあたる平成7(1995)年、「接収刀剣類の処理に関する法律」が成立し、国で保管されていた多くの赤羽刀が、全国の公立博物館等に無償譲与され広く公開・活用されることになりました。
http://www.manabi.pref.hiroshima.jp/rekimin/syozou_akaha.html広島県県立歴史資料館ホームページより引用しました。

 

日本刀は武器です。でも他の国と違い、武器としてだけでないものがあります。
武士の魂、精神の支柱としての象徴でもあります。

 

戦争を絶対に肯定はしません。
しかし、武士の持っていた心の拠り所としての日本刀があったのも事実です。
この現代社会のアニメにも武士が登場し、その象徴として日本刀を持っています。
それも一振りずつ(日本刀は「ふり」と数えます)に名前まで付けて有ります。

 

粟田口の刀工 藤四郎吉光の作に「一期一振というのがあります。
一期一会に因んだ名前です。
短刀の名手でしたが、生涯に一度太刀を作りました。
これが「一期一振」です。太閤秀吉の愛刀でもありました。

 

多くの有力者の手を行き来した名刀です。
大阪の陣で焼けてしまい、再刃をつけたものが御物として現在まで残っています。
イメージ 1

京都と言えば、平安時代丹波大江山酒呑童子なる鬼を源頼光が退治しました。
このときに使った太刀が名刀「童子切安綱」です。
あのマサカリ担いだ金太郎さんこと坂田金時も4人の家来の一人としてこの戦いに参加しています。
金平(きんぴら)ごぼうのなぞ

 

この名刀、今も国宝として上野の博物館に所蔵されています。
しかし、終戦当時は作州松平氏からこの名刀が売りに出ました。
日本刀の先が見えない中、愛刀家の玉利三之助氏が新円10万円という大金で買いとられました。

 

鉄くずになる運命かも知れないこの名刀を救って下さいました。
今、現在あるのは多くの関係者の努力でしょうが、この方の凄さには驚かされるばかりです。(『新・日本名刀100選』佐藤寒山著 秋田書店を参照、写真引用)

 

1000年以上前の話です。
でも、使用した本物の日本刀が今でも伝わっています。
鎌倉幕府を作るもっと前の源氏の長者の話です。
この話のために源氏は武家の棟梁としての名声も上がったのは事実です。

 

足利も徳川も出て来ない前の話です。日本の歴史そのものかもしれません。
この話は長い間、この名刀とともに受け継がれています。
もちろん今でも大江町では丹波大江山酒呑童子に因んだ商品が並びます。

 

歴史の上に多くの名刀に因んだ話もあります。
歴史に日本刀ありです。

 

戦を正当化することはしません。
日本の武士は単なる人殺しではありません。
自分の土地と家族、一族郎党を守るための方法としての最終手段です。

 

毎日戦をしているわけではありません。
戦をしないことこそがもっとも大切でした。
リスクは少ない方がいいです。
血のつながりのある縁者を通して姻戚関係を持つのもその一つの方法です。

 

時代が下がって、太平洋戦争とは戦争の性格を大きく異にしています。

 

しかし、犠牲になるのは普通の人々であること変わりはありません。
この日本刀が武器としての象徴でなく、日本人の心の支柱であって欲しいと思います。
平和であるからこそ、博物館で見ることができます。

 

平和な世が続くことと同時に、国のために犠牲になった人が誇れる現在日本にしたいものです。

 

小難しいブログになりましたが、是非に伝えたいことの一つです。
歴史学者や政治評論家が見る歴史感とは明らかに違いますが、こんな平和の求め方や見方もあると思います。

 

最後までお付き合いくださってありがとさんです。
心静かに、心穏やかに今日を過ごしたいと思います。