''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

送り火 妙と法に学ぶ。


五山の送り火 古都京都レポート←14日に紹介したブログ


8月16日は、京都の五山の送り火です。
多くの方がこの様子をご覧になります。

夏の京都の風物詩です。まだまだ暑いですが、五山の送り火に夏の終わりを感じます。
祇園祭りの到来で夏を知り、巡行前後で梅雨が明けます。季節と行事が見事に融合しています。

五山の送り火は有名ですが、一気に今の形になったわけではありません。
いろんな歴史の中で五山でなかった時代もあります。
その創始者は、空海足利義政といろいろですが、よく分かっていないのが現実のようです。どこから始まったのかわからないそんな風景も京都らしいです。

五山の中に「妙」と「法」と言うのがあります。2つの文字ながら同じ山にともされます。
とても低い山でご覧になった方も少ないでしょう。テレビでもなかなか見れません。
どうしても「大」に注文されます。でも、時々移りますのでそのときはご覧下さい。

この妙と法は別々の時代に作られたものです。「妙」は鎌倉時代に始まり、「法」は近世初期に始まったとされています。

実は妙と法は一体の言葉なんです。表と裏、陽と陰の関係にあります。
ですから、妙と言う文字だけでなく、法と言う文字の同じ山に作られたものと言えます。

よく見ると「妙」「法」は字体(筆法)が違います。ここまでご存知の京都ファンも多いと思いますよ。16日点火の時、泉涌寺の地元の人々は「題目踊り」という、法華題目を唱えながら団扇を手に太鼓の音頭に合わせて輪になって踊るといいます。中世の色が今も残っているようです。

泉涌寺とは御寺(みでら)と呼ばれ、天皇家ゆかりの霊を祀っています。地理的には東福寺の近くと言えば分かり易いです。

法華経」も正しくは「妙法華経」であると言えます。妙と法は表裏一体です。
自分自身かもしれません。ですから、自分では見ることが出来ないのかもしれません。

ネバーエンディングストーリー」のようなファンタジーの世界を思い描いてください。ファルコンです。

「A」と「B」と呼ばれる別人格の表裏一体の想像上の生きものが居たとしましょう。
周りの人は「A」「B」も知っています。AはよくBの噂を聞きます。BもAの噂をよく聞きます。Aは言います。「俺はBとかと言う奴の噂を聞くが逢ったことがない。どんな野郎か、一度逢って見たい」
しかし、AとBは遇う事は有りません。妙と法も別々でなく、妙法で一つの言葉であると考えています。

でも「A」と「B」それぞれの噂でなく、一つの生きもの「AB」としての噂です。自分自身にもAとBが共に住んでいます。どんな人も必ずAとBが住んでいるんです。悪さをするA、悪さを止めるBも同じ人間の中にいます。いい方の意見に耳を貸す必要があります。

悪魔のささやきが不幸を招きます。

今一度自分のAとBを冷静な自分自身と三者でよく話し合って下さい。
心穏やかに過ごせますように、過ぎ行く夏と送り火を見送りながら、今あることの幸せに感謝の気持ちをそっと添えて下さい。より良い明日が待っています。

暑い最中、小難しい話にヘキヘキされたかもしれません。
お盆をそうやって、先祖を思いやってお送りすることも必要かもしれません。

最後まで読んで下さってありがとさんです。
感謝いたします。