''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ぶらぶら東山散策 「大和大路から正面通を通って鴨川に~」

大和大路(縦)と七条通(横)の東北角に交番があります。この交番の奥が国立博物館です。その名も「大仏前交番」、近くには郵便局や地名にもなっています。ご存知でした?
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京都の大仏さん。奈良の大仏より大きな19メートルという大きさです。
桃山時代の話ではありません。地震や落雷などにより焼失、またその度に復興、再興されてきました。

でも、もっと驚くのは昭和48年(1973)まで存在していたのです。最近の話です。子供の頃リアルタイムで火災のニュース見た記憶あります。京都に大仏あるのか?
そう思った記憶が幼い記憶にはっきりとあります。

この大仏は、もともとあの刀狩のきっかけとなった大仏です。初代は慶長元年(1596)の地震で崩壊されます。二代目を秀頼が再興します。話を持ちかけたのはもちろん家康です。豊臣家の財政をひっ迫させるためです。
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その場所に豊国神社があります。立派な神社さんです。拝観時間は過ぎていますので、門は閉まっています。ご神体の前には秀吉の馬印の千成ひょうたんがあります。戦場にあっては大将や武将の位置を示すものです。金色の馬印は戦場でもはっきりとします。その馬印がこの神社の絵馬(ひょうたんの絵馬)です。
多くの絵馬がかかっています。
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またここは8の付く日に市が立ちます。東寺(弘法)さんの市は何百もの露天商がでますが、こちらはフリーマーケットや小さい骨董市です。ポスター貼ってあります。
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豊国神社と言えば隣は、方広寺です。神社の真北隣です。大きい寺院の鐘楼が見えます。これが豊臣の滅亡につながる大阪冬の陣・夏の陣の原因となる有名な吊り鐘で、その銘文「国家安康・君臣豊楽」が白くペイントされています。
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「国家安康」という言葉が「家と康を分けいてる」との徳川家の「いちゃもん」です。今もちゃんと残っています。
あまり知られていないのが、この鐘楼の天井に天女が描かれています。とてもきれいです。
ビックリするほど綺麗に残っています。
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この寺院付近には棟梁町とか鐘鋳町とかの町名が今も残っています。大仏に向かっての道路が正面通り(横)です。東に向かって行きます。まだまだ明るいですね。時間があるので鴨川の方に向かって見ます。

名店「吉野」を出て1時間はまだ過ぎていません。ほんとに近くです。三十三間堂を回らずに、吉野の前の道をくれば大和大路です。直線で数百メートルです。歩いて5、6分でしょうかね。ちっょとだけ回りました。散策ですから寄り道もありですよ。

明日は鴨川までの道のりをご案内します。もうすぐです。見えています。
でも何があるか分かりませんよ。明日のお楽しみです。
ちょっと引っ張り過ぎましたが、写真と紙面の加減で少し足りないので勘弁して下さい。続く・・・・。

ゆっくりした時間を過ごせたことに感謝です。ありがとさんでした。

最後までお付き合い下さいましてありがとさんです。お礼申し上げます。