''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

京都東山探訪 八坂神社から

八坂神社はご存知、祇園祭りの神さんです。

八坂神社御祭神、スサノヲノミコト(素戔鳴尊)が南海に旅をされた時、一夜の宿を請うたスサノヲノミコトを、蘇民将来は粟で作った食事で厚くもてなしました。蘇民将来の真心を喜ばれたスサノヲノミコトは、疫病流行の際「蘇民将来子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると約束されました。
その故事にちなみ、祇園祭では、「蘇民将来子孫也」(そみんしょうらいのしそんなり)の護符を身につけて祭りに奉仕します。(八坂神社のホームページより)
ちまきとするお守りを家の玄関に付けます。このちまきには「蘇民将来子孫也」が書かれています。ちまきと言っても食べる粽ではありません。勘違いされる方多いです。
素戔嗚尊は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子です。ちなみに恵比寿さんは、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の第一子です。

ありがたい神様です。
実は八坂さんは一つの神社さんでなくいくつもの神社さんが境内にお祭りされています。
京都の多くの神社さんも多くの神社さんを境内にお祭りしています。でも、八坂さんは他ではお見かけしない神さんをお祭りされています。小さい神社さんがあるんです。
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その中で、本殿の東側に「美御前社」という神社が建っている。
ここに祀られている祭神は美を象徴とするといわれている三柱の女神、「市杵島比売(いちきしまひめ)神」、「多岐理比売(たぎりひめ)神」、「多岐津比売(たぎつひめ)神」とされている。
 古くから芸妓、舞妓をはじめ美しくなりたい願望の女性の崇敬を集めているようである。八坂神社が祇園という土地にあることを再認識する社である。
(八坂神社ホームページより引用)
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あくまでも飲用にしないで少し顔につけるようです。バシャバシャ顔に付けました。
すこし、ブ男もましになったのかもしれません。人並みですが、それで結構です。いつも女性には泣かされています。一度は色恋で泣かせて見たいものです。

その他にも「本殿」の北側に「刃物大神(刃物神社)」があります。

 京都は古くから明治まで王城があり刀剣など刃物の製作に多くの名工を輩出し、刃物発祥の地として隆盛してきた。これら祖先の偉業を偲び、伝統を受け継ぎ、業界の振興を目的としてこの神社が建造されたという。
(八坂神社ホームページより引用)
京都には、剣とか刀に関する神様を祀る神社が結構あります。それだけ関係が深いのかも知れません。刃物やさんも他の地域に比べて異常多いと思いますよ。
それだけに、料理とも切っても切れない関係でしょうね。

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社殿です。立派な社殿です。気持が引き締まります。
この「本殿」は「拝殿」と一つの屋根で囲われているようで、このような建築形式は『祇園造』と呼ぶようです。「本殿」は、重要文化財に指定されています。

その社殿の南側に社務所があります。こちらは人でいっぱいです。恋占いに、恋のおみくじと若い女性が多いですね。両極端の絵図がそこにあります。過去と現在かもしれません。
八坂さんは人気の神社さんです。参拝の人も多いです。雨模様にかかわらずその様子は変わりません。
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このまま坂道を降りて行き、すると西楼門です。最近修復が終わり朱色も鮮やかです。
「西楼門」は室町時代の築造といわれており重要文化財に指定を受けています。
皆さんがよく見られる八坂さんの象徴的な建物です。四条の通りのどんつき(突き当たり)にあります。通常は四条通りからの写真が多いですね。門から見える四条です。

この門には、右と左に武者の像が鎮座しています。凛々しい八坂さんの守り人です。
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四条から建仁寺、安井の金毘羅宮、そして一念坂。そこから、ねねの道、大谷祖廟、円山公園、八坂神社と東山の散策というか散歩です。よく歩きました。

健康のため、メタボ予備軍除隊のために、こころのリフレッシュと軽い運動にと楽しい3時間程でした。雨降る東山情緒もそれなりにあり、楽しめました。
いい一日になりました。感謝の気持でいっぱいです。

このまま帰路に着く前に、団栗橋の袂(たもと)の銭湯に立ち寄ってから帰ります。散策には、いつも銭湯の道具を忍ばせています。

気ままな東山散策にお付き合い下さいましてありがとさんです。
気分を変えるのにすこしでも役立てば、これ幸いです。