''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「睡蓮(すいれん)」

睡蓮の花なんでしょうか?
近所の家のプランタに水を張って花を付けています。
形からてっきり蓮の花と思っておりました。
いろいろと調べましたが、多分睡蓮ですね。
イメージ 1

仏教的に言えば、蓮と仏様は関係が深いです。
泥水の中に蓮のきれいに白い花に「悟り」や仏の英知を思い浮かべます。
ですから、じっと見てなんとなくありがたい気持ちになっておりました。

しかし、真ん中に実のなる花芯がありません。
睡蓮は普通の花のような形です。
昼には咲いて、夜には花を閉じています。

ほんと質素で可憐な感じです。
ちょっとタイプかもしれません。

花に何気なく話しかける気持ちもあります。
実際に話しかけると病院か警察のお世話になってしまいそうです。
でも、いつもきれいな花には心の中で話しかけています。
自問自答の自己満足です。

大きな木をじっと見ると触りたくなります。
手をつけてその鼓動を感じようとします。
両手で、そっと触ると木の心に触れるような気がします。

もちろん何も言いません。話すはずもないんですが、気にか感じることが有ります。
何十年、何百年、ここにいるのかと思うと感慨です。
幕末の動乱期もここにいたんでしょうね。
歴史と共に生きています。

京都には多くの寺院仏閣がありますが、当然敷地内にはびっくりするくらいの大木があります。
手を添えます。
心が休まるんですね。
もちろん、気のせいです。

神社なんかには、サザレ石、何というのもあります。
「♪君が代♪」にありますよ。
あの「さざれ石」です。

よく寺院においてあります。
神聖な神の石であることも有ります。
許されている場合には触れることもあります。

大木に触れると同じような気持ちで、そっと石に手を触れます。
不思議と何か心にアクセスされたような感覚を感じることもあります。

神聖な気持ちで邪心を持ちません。ふざけた気持ちはありません。
不思議なこともあります。
人知の及ばないことも世の中いっぱいです。

話が睡蓮から離れてしまいましたね。

話を戻して、そんなこんなで勝手にありがたい花と思い込んでおりました。
形から時期から違いことに気づいて睡蓮にたどり着きました。

よく見るときれいな花です。
でもプランタンの水はきれいと言えません。
雨水がたまり、ボウフラ浮いていることもあります。
それでも関係なくきれいものはきれいです。

花の不思議でもあります。

日々の生活の中でこんな花をゆっくり見ることがなかったように思えます。
ブログの効果でしょう。
何気ない生活の中で物事をよく観察するようになりました。

暑さ寒さだけでなく、季節の花に心を向ける気持ちのゆとりを頂けたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
生かされていることに感謝です。

こころに花を見るゆとりの生活に必要ですね。
最後まで、お付き合い下さいましてありがとさんです。