''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

東福寺の「門」たちのお出迎え

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東福寺は大変広大な敷地を配するお寺です。大本山の格式を持つに見合う立派さです。
人の人生にそれぞれの節目があります。それを「門」に例えられる事があります。
登竜門なんて特に有名です。もちろん大阪の天満の天神さんに実際にその名の門があります。
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この東福寺は、寺院と言うより城や砦(とりで)に近いですね。
数々の門が存在します。
一番有名なのは東福寺三門です。国宝です。大変立派な門です。でも、東福寺の入り口には接していません。境内の中にあります。あの有名な「羅生門」をイメージして下さい。
都の入り口、いや顔かもしれませんね。この三門も東福寺の顔です。
特別拝観の時は、上に上ることができると記憶しています。一度だけ上ったことがあります。「すごい」と一言もでません。当時こんな高い建物は都にそうあるものではなかったので一望できたと思います。
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上にも仏像が安置されています。それもまた凄いですね。荘厳という言葉が私の持ちうるボキャブラリーの中で一番近いです。とりあえず三門に登って見てみないと伝わりません。
もちろん下を通ることは出来ません。
通れる人は決まっています。一握りの方だけです。あとで書くますよ。
下に三門の正確な説明を参照して下さい。

国宝 三門
三門は空門・無相門・無作門の三解脱門の略。南都六宗寺院の中門にあたります。東福寺は新大仏と呼ばれるような巨大な本尊を安置するなど南都二大寺に影響を受け、この三門は大仏様(天竺様)、禅宗様(唐様)、和様をたくみに組み合わせた建造方式となっています。
五間三戸、重層入母屋造、両脇に階上へのぼる山廊を設けた、日本最大最古の遺構です。
応永年間(1394-1428)、足利義持の再建で、1977(昭和52)年、大修理が完成しました。

山廊から階上へ上れば、壮麗な極彩色の世界がひらかれています。楼上内部は二本の柱があるほかは広々として、須弥壇(しゅみだん)中央に宝冠釈迦如来、左右に月蓋長者、善財童子十六羅漢像が安置されています。正面縁の大額「妙雲閣」の筆は足利義持のものです。中世建築ではめずらしい一面の極彩画は、画聖兆殿司(明兆)およびその門人寒殿司の筆と伝えられています。
東福寺ホームページ 国宝 三門よりの説明抜粋)

http://www.tofukuji.jp/index2.html ←東福寺のホームページ 是非どうぞ

この他に多くの門が多くあります。

東福寺月下門(月華門)、東福寺二王門(仁王門)東福寺六波羅門 は重要文化財の指定です。
東福寺南大門、東福寺中大門、東福寺北大門、東福寺日下門、東福寺勅使門 は府指定の文化財です。
それぞれ歴史と由緒があります。
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ただ、開かずの門があります。それが勅使門です。天皇の勅使をお迎えするときだけ使います。国宝三門の前に池があります。ここにも勅使専用の橋が架かっています。
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この橋を渡って勅使が東福寺の三門を通るのです。
ですから、三門を正式に通れるのは勅使の方だけですね。
京都の大本山級の寺院では、よく勅使門があります。形式は同じで大きな門の前には池があり、専用の橋が架かっています。一般の方は通れません。

長い歴史の中で行われた光景が想像力を高めます。じっと風景を眺めると開かずの門が開き、勅使をお出迎えの儀式が厳(おごそ)かに執り行なわれています。
なんともロマンを感じます。ひとり、門の前にたたずんでいます。

私も歴史の1コマに立ち会っています。多く歴史の人物もここを訪れたかと思うとなんとも想像力が高まりましたね。

日々の生活の中で、こんな心を開放した休日もありです。
ありがたいと感謝の気持ちでいっぱいですね。

最後までお付き合い下さいましてありがとさんです。