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新田義貞の一族・新田岩松家は、120石の大名家格の家と言うのがありました。
もともと、関東に徳川家康が入国する際には、20石であり、後の100石の加増で、120石になったと言う顛末です。
120石の極禄でありながら、交代寄合の旗本にとって参勤交代があり、金のかかる務めで資金集めに、岩松義寄、徳純、道純、俊純の4代は、猫絵を描いて売り「猫絵の殿様」として知られている。
明治時代になっても、男爵家として存続した。