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池田 由孝(いけだ よしたか)
寛永18年(1641年)、岡山藩家老・池田由成の三男として生まれる。
母 上月三郎右衛門の娘。
寛文8年(1668年)2月に兄・由有が死去したため嫡男となり、同年7月1日、父の隠居に伴い家督と知行3万2,000石を相続し、備前天城邑主となる。
門閥家老として津田永忠と激しく対立し、その排除を諫言書をもって藩主綱政に訴えた。
元禄9年(1696年)11月14日、天城で没した。享年56。
家督は嫡男由勝が相続した。
赤穂事件で知られる大石良雄(大石内蔵助)は、姉熊子の子で甥にあたる。
妻 正室 斎藤九右衛門の娘・光
子
竹子(岡田元豊室)
本子(土肥忠平室)