世の中は、あの煽り運転の不動産管理会社の社長と、同乗者で幇助の女性の顔写真が、ネットで話題になっています。
大阪の人間だと言うのも、何か違和感を感じます。
やはり、所有のマンションでもドラブル続きのネットのニュースを見て、いろいろとトラブルの多い方だと言えますね。
関西でも、何度も見かけられていると言うので、関西に潜伏していると推測されますね。
そろそろ自首されたらどうでしょうね。
日本に留まらず、ニュースと言えば、香港のデモの問題も話題です。
とりあえず、中国の軍に近い警察が、介入して、武力で鎮圧されるのは、時間の問題です。
デモ隊が壊滅的に拘束されて、本国に送られて、戻って来れないと言う道筋が見えます。
香港も、中国であると言う認識が、香港の方に薄いようですね。
第二の○○には、ならないで貰いたいです。
落とし所は、見えています。
嫌なら、香港を脱出するしかありませんよ。
今なら、まだ間に合います。
身の拘束を受けないこの段階で、国外に脱出するしかないように思えます。
デモのやり方も、不味かったですね。
それが致命的になったと思います。
空港などのハブ機能を失えば、香港のイメージの失墜、観光客の激減、マイナス材料しかありませんよ。
もっとデモ隊のまずいのは、警察がその中に、すでに多数入っています。
これが、後からでも、拘束される要因を作りあげられます。
デモ隊も、内部から崩壊されます。
内部からと言えば、大阪の街も、なかなか難しいです。
昨日の記事にも書いたように、大阪の難解な地名が多いのも事実です。
文字と読みが違う事が多いです。
松屋町と言えば、「まっちゃまち」と呼び、道修町と言えば、「どしょうまち」と呼びます。
大阪独特の呼び名が、そこにあります。
筋もそうですね。
筋と通と呼ばれる使い分けもその特徴です。
概して、大阪市内の幹線道路・通りは、原則として南北方向に延びる道路を「筋」(すじ)、東西方向に延びる道路を「通」(とおり)というと言われています。
ただ、京都のように碁盤の目にはなっていませんからね。
地下鉄メトロの線路名にあるように、今里筋、玉造筋、谷町筋、松屋町筋、堺筋、御堂筋、四ツ橋筋、なにわ筋、阿弥陀が池筋、新なにわ筋が、筋と言われると思いだします。
それも、よく分からないことが多いです。
途中で1本になったりすると、どちらの名称になるのやら、いろいろと慣れが必要です。
手には「でっか字 大阪詳細の地図」が必要です。
便利なようで、なかなか使い慣れる時間も必要です。
細かい所は、分かっても、全体の地理関係が、分かり難いですからね。
大阪で住むなら、やはり、地理感は必要になります。
阿弥陀が池筋と言えば、落語の『阿弥陀が池』有名ですが、意外とこの落語の事すら知らない方が多いです。
蓮池山 和光寺と言いますね。
所在地:大阪市西区北堀江3丁目 最寄駅:地下鉄千日前線「西長堀」下車です。
近くを通っても、よく分からないです。
落語好きとしては、一度は行ってみたい所ですが、期待するほどのものは感じられない予感です。
何か四天王寺さんみたいに、イメージを持つと違和感があるかもしれません。
落語のように本当に尼寺なのかも、分かりません。
面白おかしく、落語を聞く分には、尼さんが強盗に、誰が行けと唆したのかと問いただして、答えを言うシーンが、くすりと笑えます。
同じバージョンで、艶噺にもありますね。
いろいろな変則バージョンがあって、「出刃包丁」が「肥後守」になったりと、演者の色が出やすい話です。
昭和の子供の持っていた道具と言えば、「肥後守」ですよね。
小さな折りたたみのナイフです。
イタヅラする道具と言えば、これです。
私の時代にも、売られていましたよ。
今でも、売られている所は、少なくなりました。
危ないと言うのが理由です。
鉛筆削りも、この「肥後守」が主流であった時代でしたからね。
刀剣好きの私としては、「肥後守」と聞けば、肥後守国康でしょうかね。
河内守国助の三男にして、小林源左衛門殿です。
地刃や茎の形まで国助に大変似ており、上作・大業物刀工で、華やかな丁子刃文が大阪物らしいと特徴です。
河内守国助と言えば、鬼平犯科帳の長谷川平蔵愛刀にもあります。
俗に、中河内守国助ですね。
今でも御子孫が、石切神社さんの参道で、庖丁屋さんをやられています。
もちろん、小林さんです。
刀剣好きですから、一度行ったことがあります。
「肥後守」と聞いて、懐かしいと思われる方も多いと思います。
小刀と言うより、子供にとっての憧れの刀だったかもしれません。
すでに時代は、昭和から平成、令和です。
子供の手には、ゲーム機かスマホに、染められた時代です。
平和な世の中である反面、国際社会では、紛争がなくなりません。
香港のデモも、終息するしか後はなくなっています。
尊い人命が、無意味に扱われないように、念ずるしかありません。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。