日韓関係の平行線続きに、進展はありませんね。
何度外相会談しても、問題の解決には繋がりません。
無意味な時間だと言えます。
静観の様子見が、肝要だと思われます。
様子見と言っても、何もしないと言うのではありません。
静観と言っても、何もしないと言うのではありません。
禅の言葉、禅語に、「白雲自去来」(白雲自ら去来す)と言うのがあります。
もともとは、「青山元不動 白雲自去来」の対句です。
逆境にあって、その真価が問われます。
ある意味、作為しないと言うのも必要だと思います。
作為しない(不作為)とは、何もしないと言う事ではありません。
そうそう、良寛さんの『花無心』を思い出します。
「花 無心にして 蝶を招き、 蝶 無心にして 花を訪ぬ。花 開くとき 蝶来たり、 蝶 来たるとき 花開く。吾(われ)もまた 人を知らず。 人もまた 吾を知らず。知らずして 帝則(ていそく)に従う。」
その時が来れば、時期がそろえば、自然と問題解決になるように思えます。
こちらが、決めることではありません。
かの国が、決めることでしょう。
昨日、保育園の帰りに、近くのスーパーに立ち寄って、お買い物しました。
もちろん、3歳児ゆうゆうも一緒です。
鮮魚売り場に行くと、「カツオのたたき」が食べたいと言います。
毎回の同じフレーズです。
大好物のようです。
臭みも感じさせないように、カットしたものは、購入していません。
家で、私がカットします。
そして、ポン酢とマヨネーズを付けてやります。
臭みもあまりないです。
スーパーに行けば、精肉売り場では、「焼き鳥」を求めます。
もちろん、お総菜で売られている焼き鳥なく、家で生から焼きます。
手羽中の特製グリルチキンです。
3歳児ゆうゆうは、骨付きを手で持って、食べるのが好きみたいです。
居酒屋さん風の塩コショウで頂くモノ焼き鳥も美味いですが、我が家では一度味を付けて、下味を付けてフライパンで焼いて、特製のタレを入れて照り焼き風にします。
それを最後に、ソースを数回に分けて塗って、グリルで焦げ目を付けて仕上げます。
タレの甘い所と、下ろした生姜の香りと味のアクセントがいいです。
盛り付けには、白ゴマを振っています。
嫁の弁当のおかずにもなりますので、重宝します。
それ以上に、ゆうゆうのグリルチキンから攻撃は、凄いです。
4本を一気に食べますね。
味付けも、焦げ過ぎますので甘すぎず、辛過ぎずの塩梅が難しいです。
子供も食べますので、ほんの少し味は控えめにしています。
それでも、大人も美味しく頂ける程度に仕上げています。
ただ、調理の過程が、幾度か掛かります。
豆腐で言うなら、醒狂道人何必醇(すいきょうどうにんかひつじゅん)著の『豆腐百珍』の奇品「あこぎ豆腐」みたいなもんです。
往生しまっせ。(チッチキチー)
我が家の手順は、手抜きにしています。
ほって置きの放置プレーにすることが多いです。
それでも、ポイントを掴めば、失敗しません。
最後のグリルだけ、焦がさないように、タイマーを5分程度にしておけば、まず失敗はありません。
もう少し焦げ目をつけたいと、欲を出すと、焦げてしまいます。
タイマーの設置は、必要です。
「おぃちぃ」とゆうゆうは、いつも言ってくれます。
って以上に、食べる速度を見れば、はっきりします。
上手に、両手で骨付き肉を持って、口からお迎えです。
骨をぐりぐり回して、一気に完食です。
手間が掛かっているので、一気に食べるのは、もう少し味わって貰いたい所です。
また、焼き鳥食べると言いますね。
鳥好きですね。
カツオのたたきよりも、まずはグリルチキンに触手が伸びます。
続いて、カツオのたたきです。
我が家のいつもの食卓の風景です。
ささやかですが、幸せな時間と噛みしめて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。