昨晩は、ラクビーのワールドカップ、歴史的な日本開催での、ロシア戦での勝利です。
ドキドキしましたよね。
最初は、ミスがあってどうなるかと思いましたが、後半戦は、やってくれたと言う感じです。
どうも、オリンピックやサッカーのワールドカップに隠れ気味のラクビーですが、ここに来て、いい感じになりつつあります。
世界のテレビ視聴率は、オリンピックやサッカーのワールドカップより、上ですからね。
いいスタートです。
私事ながら、花園の開催でのワールドカップを観戦に行く予定です。
最大の敵は、お天気ですね。
台風の影響で、雨が降らないことが、何より念じることです。
週末と言えば、我が家のイメージでは、焼きそばです。
子供の頃の刷り込みが、未だに取れません。
野菜たっぷり、カレー味の焼きそばを作りましたよ。
最初にソース味に味付けにして、その後カレー粉をフリフリして、カレー味に仕上げています。
カレーのスパイシーな味わいが、食欲をそそります。
お約束の目玉焼きは、天に盛っています。
写真では、映えしないので、食べる時は、けずりカツオと青のりをフリフリしています。
フリフリと言っても、リージョンやマクロジョンと言うのは、昔の話です。
この話を書くといつもの頭に浮かぶのは、2つの話です。
一つはも、泉鏡花の小説『婦系図』のお蔦と主税の別れの場「湯島境内」での台詞ですよね。
主税
「月は晴れても心は暗闇だ。」
お蔦
「切れるの別れるのって、そんなことは芸者の時に云うものよ。今の私にゃ死ねと云って下さい 。」
それに、もう一つは、尾崎 紅葉『金色夜叉』ですよね。
♪熱海の海岸散歩する~
「ダイヤモンドに目がくらみ~」という一句と言う名台詞は、現代でも通じる男女のモツレです。
愛を取るか、経済的な利益を取るか、なかなか難しいです。
愛があっても、金銭の問題は、付きまといます。
愛がなくても、経済的に裕福なら、人はある程度幸せです。
究極的な選択ですが、一番いいのは、一度夫婦になると決めたなら、愛を育みように日々暮すことです。
嫁が尽くせば、夫も大事にしてくれます。
嫁が、子供や自分の親を大事にしてくれて、不愉快な男は居ません。
そうして、二人して夫婦になって行くのですからね。
最初の選択肢を間違っても、夫婦間で修復出来ると思います。
例え、義理の親子関係であっても、本当の家族にはなれますよ。
それを知っていれば、あの「さいたま小4殺害」の痛ましい事件は起こらなかったかもしれません。
夫婦も他人ですが、親子は血が繋がっているとは言え、人としては別人格です。
人格形成で、人はいろんなことを学びます。
例え、義理の親子関係でも、いろいろな事は学べます。
いろんなことが、絡んだ糸のようになって、元に戻らなくさせることにありますからね。
実の親子でも、児童虐待が後を絶ちません。
親になる資質の無い方が、親になってはいけないと言う事でしょう。
人は、区別や差別しているわけではありません。
人間関係を穏やかに修復出来る方と、そうでない方が居ます。
社会に適合できる方と、適合できない方が居ます。
やっていい事か、やってはイケない事か、分別のある方とない方が居ます。
結婚と言う形態に適応できる方と、適応できない方が居ます。
社会と言うルールある社会で、そのルールを守れる方、そのルールを守れない方、そうした方がこの人間界には、混在しているのが現実です。
人の容姿をしていても、心の魂が人間以外の方も多いです。
地獄餓鬼畜生阿修羅、そんな人間界より下位の世界の住人が、時として、人間界に間違って生まれて来ることがあります。
それとは逆に、菩薩界の徳ある方が、この人間界に生まれて来られる場合もあります。
そうした混在の人間世界です。
すでに、人間の魂の数が枯渇しています。
人間の魂が、無限にある訳ではありません。
少子高齢化と呼ばれる現代社会の縮図では、新しい命が生まれにくいと言う事でしょう。
医療の進歩によって、人の生命誕生を容易に操られると勘違いしている方も多いですが、不妊治療の限界にあるのは、肉体と魂と結着でしょうね。
本来は、望まれる所に、魂は肉体と結着します。
ただ、魂の枯渇と言う問題を考えれば、無限に地球上の人口が増加することは、考えられないように感じます。
科学の上では、人間は、猿から進化したものと位置付けられていますが、仏の世界では、人間と言うのは、そうした猿から進化したモノではありませんよ。
猿にも魂があります。
犬にも魂があります。
牛にも魂があります。
人間の魂は、人間の魂なんですよ。
それ以外の魂とは、別モノです。
徳がある犬が、人に生まれ変わると言う事はあるでしょう。
その逆に、人が下位の犬の生まれ変わることはあるでしょう。
でも、基本人間界の魂は、人間界に留まります。
仏教世界の輪廻と言う中に、人は居ます。
解脱と呼ばれる輪廻の輪から脱出した徳のある方も居られます。
法華経中にも、お釈迦さまが過去世の話をされるシーンがあります。
人が人して暮すのは、人として生きるルールが存在します。
そのルールをかき乱す残虐な事件が後を絶ちません。
あおり運転然り、詐欺行為然り、無差別殺人然り、世の中には、こうした人のすべきでないルールを超えた所に、何かあるんですよ。
仏の発願は、一切衆生を救う事です。
救われる方、救われない方、その違いは、何でしょうね。
他力本願と言う我ながら、私なら観音様の一心に名を唱えて、救いを求めることができる方と、出来ない方が居ます。
また、その救いの手段を知る方と、知らない方が居ます。
これが、佛縁でしょうね。
仏世界の空は、縁起でもありますからね。
原因がどこかにあるわけです。
ラクビーのワールドカップのお祭りの時くらい、平和な時間を過ごしたいと念じます。
焼きそばの絡んだ麺から、どれだけ派生したか意味不明な一皿の物語になりましたよ。
ご拝読ありがとさんです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。