ばんじましてとは、鳥取西部のお国ことばで、[こんばんは]と言う意味のようです。
朝昼晩の「ばん」でしょうね。
晩時の「ばんじ」なんでしょう。
鳥取県内の6つの蔵元が、「鳥取飯酒」の共通ブランド名のもと、それぞれの1銘柄に対して、鳥取方言をあしらったラベルを貼っています。
「鳥取飯酒」とは、藩主に掛けているとの解説もありました。
飯と言うなら、禅の言葉、禅語「逢茶々遇飯々」(茶に逢えば茶、飯に遇えば飯) を思い出します。
関西で有名な551の蓬莱のテレビCMの「ある時ない時」みたいです。
無ければないでいいし、有ればあるで呑んだり食ったりすればいいだけです。
その意味では、この禅語、まことに含蓄のある深い人生の指針であると芳賀氏の解説です。
物事には、固執しないことがいいですよね。
ただ、酒呑みは、無いと言うと無性に呑みたくなります。
分かっているけど、止められないと言うのが、現状です。
凡夫の悲しいサガです。
朝呑みも昼呑みも、正月以外余りしなくなりました。
その分、晩となると、無性に呑みたくなります。
晩酌タイムが、何よりの生甲斐です。
それも、元気で長く呑みたいモノです。
体を害しては、なりません。
地酒の味は、どちらかと言えば、淡麗で辛口でしようかね。
日本海の海の幸には、よく合うと思います。
この時期の日本海の鰤は、ゆうゆうにも分かる味でした。
まだ食べると言うフレーズに、これで、カツオのタタキ、鮪、そして鰤は、生魚でも美味しく食べてくれます。
私が日本酒を呑もうとすると、呑むと言います。
そんなことは出来ません。
大人になったら、一緒に呑めるかもしれませんが、その頃私の体を思うと、不安が募ります。
鳥取に少しだけ後ろ髪惹かれる思いです。
楽しかった家族旅行の余話になりました。
ありがとさんです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。