''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

師走と言えども、寒い時には、関東煮(おでん)で家呑み 令和11皿 より。 

ネットのニュースでも歌手の大黒摩季さん離婚話題に注目されていました。 

闘病、そして、不妊治療の苦悩、その上でも離婚と言う前向きと言う生き方、人それぞれ考え方はあっても、いいと思います。 

ただ、夫婦と言う形と子供を加えた家族と言う形、なかなか思うように行かないのが、人の人生です。 

 

不妊治療して、運よく子供授かった方も居られれば、授からなかった夫婦も居られます。 

子供と言う家族スタイルに、思いをはせる分だけ、いろいろと苦悩がそこにも存在します。 

子供が居ない夫婦と言う家族のスタイルも、なかなか分かっていながら、受けイケられないことも多いです。 

 

難しいテーマだけに、他人が口を挟めむことは、控えたいですが、夫婦の形態や子供と言う存在をどう受けて止める事なのかは、一般論として考えさせられるテーマです。 

 

我が家は、運よく晩婚であったけれど、子供が授かったです。 

私49歳、嫁42歳、1ヶ月もせずに43歳でした。 

式を挙げた日から暮し始めて3ヶ月ほどで子供が授かりました。 

私も嫁も初婚で嫁は初産という事を踏まえると、高確率での妊娠出産です。 

 

ラッキーだと言われればそれだけかもしれませんが偶然のラッキーではないのです。 

子供が授かると言うのは、生物的な医学的な見地から、受精卵になって、生命が誕生するだけではないだと思います。 

 

不妊治療に関しては、まず受精卵が、着床しない事が多いと聞きます。 

何故か、それは受精卵に、魂の結着がないからでしょう。 

人としての生命体である以上、魂の結着が必要だと思っています。 

 

魂のない受精卵は、人間の肉体して成長するのに、限界があるように感じます。 

人してこの世に生を受けるには、人間の魂が、肉体に備わっていないと、人として世に生を受けないでしょう。 

仏教的立場から言えば、そこに仏様の介入があると信じています。 

法華経の中には、観音経と言われる一品があります。 

 

子供が欲しいと思って、観音様に念じれば、子供が授かると言う所ですね。 

男の子が欲しいと思えば、男の子が授かり、女の子が欲しいと念ずれば、女の子が授かると言う一節が有名です。 

 

仏教徒としては、人との誕生に、観音様の関与が窺えます。 

不妊治療でも、それは同じで、夫婦して子供が欲しいと念ずれば、子供が授かるはずです。 

ただ、欲しいと思う気持ちはあっても、それが観音様に通じるかどうかでしょう。 

 

どこぞの宗教団体に入信しないと言うのではありません。 

どこぞのお寺にお布施しないと言うのではありません。 

特別な費用は、要りません。

だれでも、簡単にできるはずですよ。

 

夫婦して、観音様をいつも近くに居られる存在として、生活の中でその存在を身近に感じる暮しを送ると言う事だけです。 

観音経の奇蹟を身近に感じる暮しをすれば、もしかしたら、願いが通じると思います。 

 

迷信と言う莫れです。 

観音様は、人生のいろんな難から救って下さいます。 

それを一つ一つ目の前で、その奇蹟を体得出来たら、迷信だとは思わないはずです。 

観音様の名を一心に念じれば、救いの手を出して、救って下さいます。 

 

私たち夫婦にも、いろいろな悪条件が重なりました。 

まずは、晩婚であったこと、高齢出産であったこと、嫁に持病があったこと、夫婦間で子供が授かり難い状況にあったこと、これらを踏まえて、一緒に暮らし始めて、3か月ほどで子供が授かったと聞けば、やはり、観音様のご縁があったと言う以外に、答えが見つかりません。 

 

嫁曰く、妊娠の兆候があった時、私は、「妊娠でしょう」と言えば、嫁は、「そんなことはない」と答える始末です。 

私の方が、観音様を信心する気持が強いですから、私にとっては私の希望も聞いて下さったと、ごく自然の受け止めです。 

 

確から、産婦人科の部長先生も、40歳を超えた夫婦が、長い間不妊治療の末に、子供が授かったと勝手に思われていたようで、「今年の2月に結婚しました」と聞くや否か、アズスンアズのタイミングで、答えに困られて、「相性が良かったんだね」と答えを探すのに、困られていた次第です。 

 

難しい事は分かりませんが、今不妊治療で行き詰っておられる方は、その治療を続ける上で、観音様のお縋りされてはどうでしょう。 

追加の金銭も、お布施も要りません。 

一心に観音様の名を唱えて、その観音様を身近に感じる暮しをされると、願いを聞いて下さるかも知れません。 

 

そう思われるだけでも、気持が楽になります。

子供が授からないのは、あなただけに責任はありませんし、あなたが悪いわけではありません。

夫婦して、観音様とご縁が、薄かったり、なかったからだけですよ。

 

騙されたと思って行っても、不利益はありません。 

観音様の存在を身近に感じる暮しは、日々の暮らしを豊かにして下さいます。 

今あることに、感謝出来ると思いますよ。 

案ずるより産むが易しです。 

 

日々の暮らしと言えば、何もないように感じますが、何もない普通の暮しにこそ、真実の幸せが隠れています。 

嫁と子供との3人暮し、人様から見れば、特別な見える形の幸せは、ないかもしれませんが、私は幸せを感じています。 

 

子供のやることに、大声を出して怒ることも多いです。 

もちろん、イライラすることも多いです。 

でも、親子3人して、食事をさせて貰ったり、娘と風呂に入ったり、親子3人川の字になって寝る時も、子供の存在に癒されます。 

 

子供は、やはりありがたい存在です。 

今では、子供の居ない暮らしは、考えられません。 

やはり、観音様に感謝しています。 

 

あまり、難しい事を考え過ぎず、あるがままに、観音様に身を任せて暮すのも、ありだと思います。 

この記事を見て、運よく子供が授かったら、コメントでも頂ければ、日々の暮らしの中で、励みになります。 

 

話変わって、励みと言えば、日々の食事です。 

夕飯の用意は、主婦にとっては悩みの種かもしれません。 

我が家の夕飯は、この主夫の私がやります。 

私にとっては、夕飯の用意は、冷蔵庫との相談して決めます。 

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その一つが、週一の関東煮(おでん)です。 

もちろん、関東煮の日の夕飯のおかずは、刺身が添えられることが多いです。 

4歳児ゆうゆうが、スーパーの買い物の途中で、カツオのたたきが食べたいととか、鮪の刺身が食べたいとか、言います。 

焼き魚の時もあります。 

 

こちらは、スーパーの魚と相談です。 

その日のいいものを、添えるようにしています。 

この日は、私の晩酌は、熱燗のお酒になります。 

熱燗と刺身や関東煮(おでん)なら、いい塩梅です。 

 

4歳児ゆうゆうも、関東煮の玉子、豆腐、大根が好きですね。 

もくもく食べてくれます。 

基本我が家は、子供向けの食事メニューではなく、大人向けの食事メニューです。 

その分、味付けは子供に合わせて、味は薄い目にしてています。 

 

子供が出来てから、いえいえ、嫁と暮し始めてから、家呑み派になっています。 

家でゆっくりと呑むのがいいですね。 

呑んで動くのが、嫌なんです。 

家呑みに向いています。 

 

関東煮なら、いろいろな具材を楽しめます。 

いろんなものが入ります。 

私の好きな具は、いろいろありますが、じゃがいもが好きです。 

今回は入っています。 

 

厚揚げも豆腐も好きです。 

私の口に合うように、味を付けています。 

この寒い時期は、味のしゅんだ大根も美味いです。 

大根だけは、2日掛けて煮ています。 

 

その手間暇の分だけ、娘が「おぃしい」って言ってくれます。 

その言葉が、励みになっています。 

ありがたいです。 

 

とりあえず、寒い時は、週一で関東煮と決めれば、夕飯の献立は楽になります。 

後のメインは、鍋が2~3日、娘の好きな焼き鳥が1日、関東煮は2日はイケます。 

あとは、スーパーとの相談です。 

 

副菜に、ポテサラ、スパサラ、ハムサラなどのサラダ類、切干大根やヒジキ煮、酢の物などの小鉢類となれば、根菜類の煮物も副菜になりますからね。 

鍋物以外では、味噌汁も作ります。 

一汁二菜以上なら、夕飯の態は保てます。 

 

それでも、関東煮や鍋は、おかずにも晩酌の肴にもいいですね。 

娘が喜んでくれたらそれでいいです。 

娘曰く、「つるつる」の麺類のリクエストも多いので、鍋なら麺追加できますからね。 

ありがたいところです。 

 

日々のささやかな暮しの中に、幸せを感じています。 

ありがたいと手を合わせます。 

 

親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。 

ありがたいことです。 

 

ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。 

ありがたいことです。 

 

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。 

神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。 

ありがたいと感謝です。 

 

総索引 https://kantoshoue.hatenablog.com/entry/35343705