今日は、昭和の日でしたね。
同時に、我が恩師の命日です。
もう18年も過ぎました。少し前の事だと思っていましたが、そんなに経ちました。
縁あって、ご家族と死出の旅達に立ち会う事が出来ました。
私にとっては、恩師でもあり、ある意味義父でもあるような存在でした。
ありがたいことに、実の父母はまだ健在ですが、またあの悲しい思いをするかと思えば、気が重いです。
その分、親孝行のマネ事はするようにしています。
今年のGWは、コロナの影響で、帰省も旅行もできなかったです。
時折も、ハングアウトを通じて、テレビ通話するだけです。
とれでも、数分のテレビ通話は、喜んでくれます。
ありがたいことです。
子供と言うのは、特別な存在です。
年老いた父は母も、初めての孫娘だけに格別の気持ちです。
孫は、他にも男の孫が2人いますが、すでに30歳近くなっていますので、ひ孫を待ち望むような年になります。
それなのに、小さな孫が居るのは、格別のようです。
年寄りでも、ガラケーの待ち受けに、孫娘のゆうゆうの写真を使っています。
もちろん、私が居れたものです。
父母共に、孫娘の写真が待ち受けです。
それを同じような年寄りの友達に見せています。
同じようなお年寄りですが、80歳近い母には、そんな小さな孫の居るお友達は居ません。
ですから、特別みたいな感じに思えます。
同居のひ孫なら、待ち受け写真にするかもしれませんが、別居ならひ孫と合うのは、少ないです。
日本の高齢の社会では、ひ孫となると、4組の曾祖父母の年寄りのが居るケースも多いです。
それでも、早いと70代ですから、まだまだ元気です。
孫娘の写真を見たいと必死になって、メールの添付の写真を見ます。
孫娘の動く姿を見たいと必死になって、ハングアウトを使います。
ネット社会も、ボケ対策には、いいと思いますね。
80代半ばの父のインターネットと言えば、ネットのニュースと、YouTubeでの演歌を見るのが、日々の作業です。
時々、私からのメールの写真を見て、ハングアウトで孫娘の姿を見ることが、ほぼほぼすべてに近いです。
今年のGWは、全国でどこでも帰省をなくして、テレビ電話になるんでしょうね。
でも、年寄りには、少しハードルが高いですね。
私はそう思います。
ハードルが高いと言えば、食後のデザートのフルーツ盛です。
嫁に何度も教えていますが、すぐに自分流にアレンジするので、朝からケンカです。
再度やりおなして、オレンジのフルーツバケット盛にしてみました。
オレンジの皮を容器にして、カットしてオレンジを盛り付けます。
少し高級な料理屋さんと行くと、食後の中に、水菓子としてフルーツが盛られます。
お皿も、オレンジとの色合いと対比できるように、濃い水色の器にしています。
補色の緑の皿でも、収まりがいいでしょうが、食事の他のお皿との対比で、決めればいいと思います。
フルーツカットは、いろいろな仕事があります。
動画を見ていても飽きません。
私がするのは、簡単なフルーツカットですが、一番実用性があるパターンにしています。
真ん中のくぼみに、サクランボ盛ってもいいし、キュウイフルーツカットを盛ってもいいです。
パイナップルのハーフカットにして、それを器にして、盛り付けても、ボリューム出るし、夏には西瓜のハーフカットして、それを器にしても、フルーツ盛の一皿で、盛り上がります。
フルーツ盛は、華やかです。
我が家では、いつものオレンジをカット盛りしますので、4歳児ゆうゆう、オレンジはこうして食べるものだと勘違いしてます。
上手にフォークで、フルーツを食べます。
決して、皿のオレンジまで、口を付けることはありません。
1人前、1/2個です。
とても満足そうな顔をして食べてくれます。
それはそれでありがたいことです。
少しの工夫で、この家での籠城の過ごし方も、楽しめるモノにしたいです。
今少し不要な外出を控えて、コロナとの戦いに勝利したいです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。