昨日の雨は、凄かったです。
夕刻から降り始めた雨は、今朝まで残っていたみたいです。
家の前の道路が濡れていました。
ずぶ濡れだと言うと、♪ドブネズミみたないに~とゆうゆうがリンダリンダを歌い始めます。
子供のいる家では、同じようにことがあるでしょうね。
非常事態宣言が解除になったとはいえ、用心が必要です。
そんな中、突然ゆうゆうが、魚釣りがしたいと言い出しました。
家には、岳父の立派な金魚がいますが、釣ることも出来ません。
どこで、見たのか、魚釣りと言い出しました。
一度も、そんなところに連れて行ったこともありません。
保育園の遊びで、そんなことをしたのを知っています。
先日百均で買って来たクリップです。
書類を留めるアイテムですよね。
画用紙に、魚の絵を書いて、切り取り、この紙の魚にクリップを取り付けた。
もちろん、釣り竿になるようなツッパリ棒に磁石を付けた釣り糸を取り付けて、竿が関西です。
釣り糸を垂れるように、カーペットの上に、何匹もの紙の魚が泳いでいます。
それを、ツッパリ棒の磁石の釣り針で、魚釣りをさせました。
意外に大喜びでした。
単純な事ながら、目を光られて、楽しんでくれますね。
まだ、子供が小さいですから、そんな家での遊びも喜んでくれます。
ありがたいことです。
釣り竿と言えば、禅の言葉、禅語の中にも、「漁夫生涯竹一竿 (ぎょふのしょうがい たけいっかん)」と言うのがあります。
何だかありがたい禅語に思えませんね。
でも、この一節には対句があります。
「山僧活計茶三畝、漁夫生涯竹一竿」 と言えば、趣が変わります。
「山僧活計茶三畝」とは、 山のお坊さんが三畝の茶畑もあれば十分という意味ですね。
禅僧には、お茶は欠かせません。
漁夫は生計を立てるのに、釣り竿が一本だけあればそれでいい。
釣り竿一本さえあれば暮らしていける。
漁夫には、地位も名誉も財産もいらないという感じです。
ただ、人である以上、ある程度の生活の糧となる金銭も必要ですけどね。
それは当然のことです。
コロナ騒動で、リストラされて、住居を追い出された方も多いはずです。
政府も、こうした一時的な支援が必要なこともご存じのはずです。
ただ、支援される方も、一時と思うのが必要です。
ずるずると、支援が永遠に続くと勘違いされる方が多いです。
自立道を選ばないといけません。
仕事がないなら、大阪府とかで、一時的な大阪城公園の清掃など、一時しのぎの仕事も出せると思います。
それがいつまでかと言うと、それも困りますが、道筋を立てられるのが一番です。
今後の経済の動向を見ないといけませんね。
何故、子供が魚釣りをしたいと言い出したのか不明ですが、子供なりに何か感じていたのでしょう。
世の中も、コロナに怯えるばかりです。
何やら、第二波の予言や予測が、ネットで話題になっています。
私も、14歳のインドの少年の予言も見ましたが、真偽の程は分かりませんが、長い歴史の上で、疫病には第二波があるのは、自然の摂理です。
それに備える対応が、政府として急がれます。
数百億円とも数千億円とも言われるナイナンバーシステムが、これほどバカげている使い物にならないシステムだったと言うのは、お笑い草です。
役人のシステムは、全く原始的な書類システムのまま、それで無能な役人が数だけ居ても役に立ちません。
役人のシステムも、根本から変える必要があるのは、明らかです。
でも、社会がそれを現実させようとはさせません。
こうしたコロナ禍の中、新しいシステム構築に政府も真剣になって貰いたいです。
正直者がバカを見ない世の中にして貰いたいです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。