郵便ポストを見て、びっくりです。
あのあのあの、アベノマスクが、我が家に届きました。
本当に実在したんですね。
都市伝説かと思っていました。
使いたい時には使えず、使わない時に必要になる、「風呂の蓋」みたいですね。
子供のなぞなぞみたいです。
我が家は、3人家族、それでも2枚って、どうよって感じです。
ないより有った方がいいと言う感じで、仏壇にでもお供えさせてもらいます。
そうそう、立派な仏壇が我が家にはあります。
すでに、お性根抜き(おしょうねぬき)はしてありますが、習慣として毎日手を合わせています。
そこには、今でも岳父や丈母の存在があります。
昔は、どこの家にも仏壇は必要なものでしたからね。
米朝さんの落語『世帯念仏』の枕にもそうした話が出て来ます。
船場の商家にあるような人が入れる大きな仏壇の前で、「南無阿弥陀仏」と唱えるシーンが好きです。
米朝さんは、出自は播州の神官のお家ですから、何か違和感があったようにも感じます。
高僧の「ぅん~な~~~~~~ぁ」と阿弥陀仏が終わるころには、夜が明けると言うくらいに長いものです。
一掴み何千円と言う高価のお香を一掴みして、高貴な香りがあがる中での、「南無阿弥陀仏」は、上から1万円札が降って来そうほど、ありがたみを感じると、米朝さんは表現されています。
このアベノマスクも、あの必要な時にあっては、そうした価値があったのかもしれません。
このマスクに、この時期のマスクに、数百億円の血税が投じられたと聞くと、気持ちは返金して貰いたいくらいです。
とは言え、このマスクのお蔭で、マスクの高騰に楔が生じたことになりますので、それはそれで意味はあったと思いたいです。
とりあえず、第二波に備えた対応が、この時期ならいろいろと出来ます。
教訓を生かして、第二波を乗り越えたいです。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。