九州での豪雨の報道は、凄いです。
関西の大阪の地でも、雨が続いて、少し怖いくらいでした。
4歳児のゆうゆうが、「雨が降っている」と言うばかりです。
耳で敏感になった雨音です。
昨晩は、少し肌寒いくらいでした。
気温がでなく、先日比にして、少し気温が落ちていました。
それならと、いつものように冷蔵庫と相談して、カレーシチューにしてみました。
慌ただしく用意していたので、写真を取り忘れました。
カレーシチューと言えば、私たち子供の頃の給食の人気メニューでした。
家でも、カレーやシチューはしても、カレーシチューをすることは無くなりましたよね。
ハウス食品辺りから、カレーシチューの素でも発売されないと、なかなか作れません。
でも、家庭でも簡単に出来ます。
4歳児ゆうゆうは、カレーシチューが大好きです。
子供向けに作りました。
普通にシチューの用意をして、具材のカット、煮込みをします。
その中に、カレールーを入れます。
シチュールーとカレールーの比率は、3対1辺りにすると失敗しません。
味を見て、カレーが強いのがお好きなら、2対1にしてもいいし、好みにすればいいだけです。
カレーの味が強すぎないようにするのが、いいです。
そうしないと、シチュー感がなくなります。
カレールーも、今回はバーモントカレーの甘口を使いました。
辛口にする必要はありません。
色合いとカレーの風味が出ればいいだけです。
カレールーを間違って、中辛でなく、甘口を買ってしまった時は、ピンチをチャンスに変えられます。
カレーシチューは、50代でも懐かしい味ですの、嫌いと言う方は好きないです。
失敗しない定番の我が家の味です。
お肉があれば、お肉でもいいし、ソーセージがあれば、ソーセージでもいいです。
冷蔵庫のがてらにすれば、いいと思います。
禅の言葉、禅語の中に「逢茶々遇飯々」(ちゃにあえばちゃ はんにあえばはん)と言うのがあります。
難しいことでなく、臨機応変に対応すればいいだけです。
関西では有名な豚まんのテレビCMに、「ある時、ない時」があります。
あれですよ。
でも、ないからと言ってしょんぼりはしません。
このコロナ禍のピンチをチャンスに変える気持ちの発想の転換が求められます。
ないからと言って、それに執着してはいけません。
この「逢茶々遇飯々」は、芳賀幸四郎氏の言葉を借りれば、「人生の万縁万境に対処していささかの執着もなく、その時々の条件に無心に反応して、自由無礙に生きる禅者・道人の境涯を表現した一句である」と述べられています。(我が愛読書の芳賀幸四郎著『禅語の茶掛 一行物』淡交社刊 より)
どんな状況下にあっても、くよくよしないことが大事ですし、どんな状況にあっても、ささやかな「よかった探し」は出来ます。
ある時、ない時、固執しないことが大事ですね。
白雲自去来しますよ。
朝の来ない夜はないです。
仏の世界でも、陰と陽、妙と法の世界は、存在します。
見えない世界と、見える世界から、この世の中は出来ています。
見えないからと言って、存在しないことではありません。
陰陽と言えば、中華の太極マークを思い出します。
タイチーマークと言いますよ。
2つの勾玉みたいなマークです。
先日、ゆうゆうが、チャーハンが食べたい、麺が食べたい、玉子が食べたいとのリクエストが入りました。
それじゃと、一つのお皿に盛り付けました。
食事は、大人も子供同じものを頂きますので、大人用の盛り付けがこちらです。
太極飯(タイチーライス)です。
チャーハンも食べたい、ナポリタンも食べたい。玉子も食べたいなら、この上のオムライスの玉子の布団を掛ければいいだけです。
見た目が分からなくなりますので、今回は玉子の布団は掛けていません。
意外に美味いです。
とんだ娘の無茶ぶりも、時にはいい感じになります。
もちろん、ゆうゆう本人は、早々と完食しました。
私たち世代には、懐かしい喫茶店の味のナポリタンとオムライスです。
あの頃、家で作るのとは、別物でした。
少しの工夫で、レストランぽくなります。
こちらには、我が家の隠し味のバルサミコ酢を使っています。
また、作ってよのリクエストも入りました。
ささやかですが、親子3人暮らしに満足しております。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。