昨日の昼ごはんの後、食卓に初物のフルーツが出来ました。
桃です。
それも、少し訳ありの白鳳です。
2つ入れで450円なら、どこが訳ありだったのか、推測も及ばず、色合と形のバランスが少し悪かったと言う感じです。
桃のいい香りがしています。
4歳児のゆうゆうが、いい匂いといいながら、桃と濃厚接触です。
桃の上手なフルーツカットは、初太刀は、所謂アボガトカットから始めます。
その後、種の中心に、断ち割りにして、桃の実を外していきます。
さすれば、見た目も、すっきりとしたフルーツカットになりますね。
最近、フルーツカットの動画を見ます。
いろいろな技があるものです。
上手に、パイナップルをカット出来たら、料理上手に見えますからね。
それに、これからの暑い時期は、西瓜でしょうね。
秋口になれば、梨なども、その技が求められます。
我が家では、オレンジのバケットカットやキューィフルーツのカットを多用します。
覚えていれば、少し便利です。
ただ、今回の桃のカットは、上級です。
すぐに桃の色が変化します。
まだまだ、日々精進です。
この時期の将棋の世界なら、「たどり来て未だ山麓」の「新手一生」升田幸三氏の言葉が頭を過ります。
あの陣屋事件の当事者ですね。
でも、この先生は、好きですね。
ひふみんの師匠でしたね。
この一門の笑いのセンスがいいです。
升田幸三先生の格言の中でも最も好きなのが、「山より大きな猪はいない」ですね。
それに、他にも好きなのは、「錯覚いけない、よく見るよろし。」もいいですね。
また、「人はだれでも特異な存在であり、無から有を創り出す力を授かっている。」には、勇気づけられます。
「詰まるかなぁ」と言えば、落語の「二人癖」ですね。
「一杯呑める」と言う口癖の男と、「つまらなん」と言う口癖の男の、悪い口癖を直そうと言う噺ですね。
そこで、隠居の知恵を借りて、将棋の詰将棋で、「詰まらん」と言わせした男の策略です。
落語の中でも、ありそうもない空想の噺も多いですよ。
落語「夏の医者」なんかでは、人を飲み込む大蛇が居たりして、オチの大蛇が夏の医者は腹に障ると言うのも、空想の噺です。
そうそう昨日の記事の神田 松鯉 師匠の講談『水戸黄門記より 出世の高松』の中でも、「友成の短刀」「鱗丸」と言うのは、聞いたことがないです。
って言うか、と言うか友成と言えば、太刀しか見たことがないです。
友成の短刀は、ないと思っていましたが、調べても見当たりません。
それに、徳川の名刀・鱗丸と言うのも、調べてもよく分かりません。
同じ神田一門の中には、御落胤の書付と一緒に渡されたと言う香が「蘭奢待」になっていたりと、知っている限りのキーワードが、ちりばめられています。
やはり、ここまで来れば、嘘だち分かります。
短刀も、兼光や景光の名刀辺りなら、短刀もありますから、備前と言えば、この辺りが落語講談浪曲の話芸では、王道のような気もします。
刀剣の名刀で言えば、「郷とお化けは見たことがない」と言います。
郷と言えば、もちろん、天下三作の「越中郷の義弘」ですよね。
今時で言うなら、株式会社「正宗ファクトリー(正宗製作所)」の大番頭、専務取締役と言うところですね。
跡取りの二代目は、養子(娘婿?)の貞宗(彦四郎)が居ます。
桃からいろいろな話に繋がります。
桃も、我が家の堺の庖丁・義光で、斬ります。
洋包丁のベティーの方が、フルーツカットには、便利です。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。