12月と言えば、私のブログのサブテーマの「赤穂浪士」「忠臣蔵」です。
いろいろと不思議な記事を書いています。
素人の書き記し程度の記事です。
それでも、いろいろと「赤穂浪士」関連の書物や雑誌も、見つけては資料にしています。
そんな中に、『歴史街道』1999年3月特別増刊号があります。

この年の大河ドラマは『元禄繚乱』、二大対談と称して、中村勘九郎丞と西山松之助氏の対談が含まれています。
サブテーマに、「元禄時代と忠臣蔵の常識と非常識」と銘打って、いろいろな書き記した記事になっています。
知らないこともあって、興味津々で購入しました。
中には、浪士たちの収支決算が、出版当時の現在価格に計算されているのも、面白いです。
石高 5万石(40億万円)+塩田収入3万~5万石(24億~40億円)と塩田による所得が、石高近くの高収入に繋がっているのは、驚きです。
都合して、実質的に8~9万石程度の裕福な藩だったことが伺えます。
家臣についての記述がありました。
赤穂藩は、表高で言うなら、5万3000石ですから、幕府の定める軍役は1万石に付き200人でしたから、赤穂藩なら役1000人余りの軍事動員が必要だったことになります。
この人数の中には、足軽・雑兵も含まれていると言うことのようです。
家臣で知行取りが、百四十名余り、扶持米取りが、二百数十名、合わせて、三百数十名だったとされています。
この他、足軽、小者、中間など藩から支給を受けている者が九百名程度居たとも書き記されています。(数字表記のため、漢数字を使って、読みにくい点はご容赦下さい。)
それで最終吉良家討ち入りに、47名とは多いのか少ないのか、不明ですが微妙なところですね。
数字から読み解く忠臣蔵も、いろいろと現実が見えて来るような気がします。
藩は今風で考えるなら、上場企業みたいな大きな会社のような感じですね。
赤穂藩断絶にあって、石高に応じて、退職金相当の金品も支給されています。
ある意味、ブラック企業ではなかった点は、良かったと思います。
それだけ、藩が裕福であったことによるところが大きい。
主君の仇を討つにも、金銭が必要です。
その費用の算定も、細かく書き記されています。
それも、数字から当時の様子も伺えますね。
主君内匠頭さえ、刃傷事件を起こさなければ、穏やかに幕末まで藩が存続できたのかもしれません。
人の人生とは、不思議な定めです。
この時代、高禄の家臣なら、伝手を頼って、士官の道もあったけれど、普通の家臣は一度浪々の身となれば、終生親子代々浪人暮らしですからね。
主君有っての武士、扶持有っての武士です。
意外と不安定な侍の暮らしを感じますね。
綱吉公の時代にも、断絶させられた藩も多いですからね。
武士も辛いところです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。