毎日新聞の12日の夕刊に、大阪・高石の親餓死事件が一面に記載してありました。
何か違和感を感じました。
サブタイトルに、戦後孤児の無戸籍問題があったと言う事です。
それにも違和感がありました。
母は78才、息子は49才と見られる。
母の死を息子が近所の男性に話して、その男性が通報して事件が判明したとあります。
やはり、違和感があります。
この事件と、どこに無戸籍の話が絡むのか不明でした。
死亡した母も、息子も無戸籍の状況にあったと言います。
一家は内縁の夫と3人暮らしをしていた。
1999年に2階建の家を購入して、2016年夫が死亡してから、その遺産を食いつぶして生活していたと言います。
母も息子も無戸籍でしたから、息子も学校には行っていなかったと問う事らしいです。
それで、近所付き合いもあって、普通に2020年8月頃まで生活していた。
事件が起きたのは、2020年9月のようです。
果たして、近所付き合いもしながら、学校にも行かず、地域で暮らしていけるのだろうかという疑問です。
まだ、母は戦後孤児で居たとしても、暮らしていくには、戸籍も必要だし、住民票もないと日常生活できないこともあったはずだ。
子供が出来た時には、母子手帳は必要だし、普通の暮らしをするには、戸籍は必要なはずだと言う疑問が駆け巡ります。
息子さん49才と言えば、私の世代です。
学校にも行かず、働きにも行かず、家の周りで暮らしていけるのだろうかという自分と言うフィルターを通して、その時代を見渡しても、考えられない。
無戸籍問題と言うと、小学校になる世代の子供や、20才を越えて見つかった事件など、最近の新聞紙面から見えて来る事件が多い。
それを、昭和、平成、令和の時代になって、無戸籍で放置できる社会にも違和感を覚える。
人生の中で、昔は何度か戸籍を求められることが多かったですからね。
私たち世代は、小学校に入る時にも、中学校に入る時にも、戸籍を求められた時代です。
父母との関係も書類で求められた時代でした。
時に、その機会を通して、自分が養子であったということが多かったのも事実です。
運転免許書にも、私の時代には戸籍と住民票を求められたと記憶しています。
免許書にも、戸籍の記載がありましたからね。
戸籍のいろいろな問題点から、その記載をなくす傾向の時代でもありした。
人生の節目には、戸籍が求められたはずです。
もちろん、無戸籍ですから、婚姻届けも出来ず、その子供も無戸籍の負の連鎖が続きます。
とは言え、日本国民なら、戸籍がなければ、住民票がないと言う事になります。
住民票がないと言うなら、仕事に就くことも難しいし、銀行口座を作ることも出来ません。
健康保険もないですから、病院にも行けないと言う事になりますね。
もちろん、携帯電話やスマホの契約も出来ないと言う事になります。
日常生活に不便を感じた暮らしを続けることになりますね。
人生に戸籍を求められる暮らしは、プライバシーのとの問題に繋がりますが、いろいろな知恵である程度その問題も解決できます。
また、求められる状況の中で、無戸籍の問題が発覚して、正規の戸籍を取り戻せるチャンスでもあったわけです。
日本人なら、戸籍さえあれば、普段の暮らしを続けることには、不便はないはずです。
無戸籍が悪だというのは、昭和の古い感覚で、今ではそんなことに、驚くことはあっても、社会の問題として、修正できるはずです。
社会のシステムの中で、市区町村でも、無戸籍の実態をある程度把握し出来ていると思います。
今回の場合には、内縁の夫が家を買っていますので、相続や固定資産税の問題から、高石市でも発覚できたはずです。
地域の民生委員も居ますので、直接市役所が関与しなくても、母親が地域ともつながっている生活をされていたようですから、その確認は出来たはずです。
要するに、無戸籍問題と言うのは、行政の怠慢によって、埋められるべき問題を、放置していたと言う事になるのではないかと、思われます。
病気になっても、保険を使わずに、自由診療を受けるという段階で、それらの情報を保健所に通報するシステムがあれば、判明する場合もあるはずです。
犯罪の抑制にも繋がります。
戸籍のせどりの問題が、前々から大きな事件に繋がっています。
そうした大きな問題になる前に、未然に防いで、子供のより良き人生に繋げられることにもなります。
未だに、戸籍がないために、学校にも行けず、就職も出来ず、婚姻も出来ない若い人が多いはずです。
行政のシステムで、簡単に解決できる問題だと思います。
無戸籍だからと言って、刑法で常に罰せられる訳でもありません。
子供が生まれた場合、決まった期間内と届け出をする必要があります。
少し過ぎたからと言って、すぐに罰則が出来ようされるわけではないし、子供の利益を鑑みて考慮されるはずです。
無戸籍の子供を救うという意味から、こうした問題を社会に認知させる必要はあると思います。
私も今、親となって初めて理解できることも多くなりました。
一人でも、将来のある子供の人生の機会を奪ってはならないと思います。
今回の事件は、私の中で何か強いインパクトのある事件に思いました。
なかなか残念な記事でした。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。