寒いですね。
コロナの感染者も横ばいのままの大阪の地です。
去年のクリスマス前後感染が、そのまま市中感染に繋がっています。
やはり、人の移動が、コロナを感染されることが分かります。
正月明けからの人の動きが、今週かコロナ感染者のデータとして現れて行きます。
東京の人出を見ると、まだまだ感染は収束しないでしょうね。
3月末まで、緊急事態宣言下のままのような気もします。
我が家も、いろいろと気を付けています。
食料品の買い出しや必要な外出以外は、家に籠っています。
籠ると言えば、落語の『明烏』ですね。
黒門町の師匠、こと8代目桂文楽が得意にしていたネタだと聞いたことがあります。
「いっぱいの(ォッ)お運びでございまして有り難く御礼を申し上げます。」と品のおじいちゃんのイメージです。
黒門町と言えば、現在の住居表示で言えば、東京都台東区上野1丁目当たりだと聞いたことがあります。
黒門町と聞けば、私達の世代では、中村梅之助主演の時代劇『伝七捕物帳』ですよ。
黒門町の親分と呼ばれています。
事件解決の〆のシーンの名セリフ「ヨヨヨイ、ヨヨヨイ、ヨヨヨイヨイ、あ、めでてえな」は懐かしいです。
明烏と言えば、息子が道楽者だと親は心配するが、あまりに堅物すぎても親は同様に心配する日向屋の旦那様です。
その若旦那である時次郎は、一部屋に籠って難解な本ばかり読んでいる様子。
その堅物ぶりに閉口した旦那は、「遊びも知らぬ世間知らずでは困る」と、人に頼んで、時次郎を吉原に連れて行くよう頼みます。
吉原を怖い所だと信じ込んでいる時次郎を言葉巧みに「お稲荷様にお篭りしましょう」と誘い出したところから、吉原に行くんですね。
男だから、そんなことも必要ですが、年をとってからハマると大変なことになります。
若い内には、いろいろな事の経験も必要です。
特に、ギャンブルは、手ほどきを受けるほどは必要だと思います。
やってみれば、バカらしくなることもあるし、若い時しか経験できませんね。
競馬も競輪も、知り合いの社長に若い頃連れて行ってもらいました。
競輪は、丁度世界の中野浩一の人気の頃でした。
競輪場でも、スーパースターでしたからね。
独身時代には、年に1度か2度位、選抜とか常陸宮だとのビックレースは、見に行ったことがありました。
車券を買って見るのと、買わずにテレビで見るのとは、別物です。
ライブ感もあって、面白いですが、ハマることは無かったですね。
むしろ、5000円程の小遣いの予算を設定して、4~5ケース見るくらいが丁度です。
負けても、ああ楽しかったと思えますし、勝って夕飯を贅沢にすることも、帰りに居酒屋さんに行くこともありました。
成績は、トントンでしたよ。
大損した記憶はありません。
要するに遊び方を知ったのが良かったです。
それが、若い頃には必要ですからね。
明烏の方も同じです。
その雰囲気に、瞬時に馴染むのは、取引の契約の場でも、活用出来ましたからね。
私は煙草を呑みませんので、場持ちのテクが、食べものとか、お酒との話とか、趣味の話とか、色気の話とか、大抵の持ちネタがあれば、どんな方とも瞬時に会話できます。
子供さんの場合にも、バケモンとか、いろいろなネタが役立ちました。
取引や契約の場では、その場を温める必要があります。
寒々しい現場もあります。
お通夜みたいな現場は、嫌ですからね。
皆さん煙草を付けては消しての繰り返しです。
家なら、そりゃ大変な修羅場になりますよ。
我が家は、その手の問題はありません。
温かいと言えば、熱々の味噌汁です。
具沢山が好きです。
それに、葱と一味は必要です。
今日は、味噌汁の歌の話は止めておきます。
我が家は大抵和食の朝ごはんですので、味噌汁は欲しくなります。
味噌汁に、ごはんに、香の物ですよね。
幸せ感じます。
日本人だと、しみじみ感じるシーンです。
ありがたいことです。
味噌汁の味噌も、地方によってマチマチです。
そんな話も、取引の現場では盛り上がりますよ。
入金確認まで、小一時間あれば、いいんですから、皆さんも喰い付きますよ。
懐かしい話です。
家には、5歳児の娘が居ますので、私の好きな京橋にも、子供が出来てから、1度しか行っていないですね。
懐かしいです。
駅前の串カツのまついが恋しいです。
熱々のペラペラの薄い出汁の濃い、あの湯豆腐が懐かしいです。
コロナでどうなっているのやら、少し気になります。
終息すれば、行きたいです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。