5歳児ゆうゆうの保育園には、すでにお雛様が飾られています。
そんな季節になりました。
お雛さんには、桜の木と、橘の木も、飾られていますね。
どっちがどっちかと、迷った時は、「左近の桜に、右近の橘」と覚えれば、簡単です。
左近と桜の頭文字が、「さ」です。
もちろん、お内裏様から見ての左と右です。
左大臣も、右大臣も、同じ方角から見ての話です。
左近と言えば、私の場合には、好きな戦国武将の島左近をイメージします。
自筆の書状によると、「嶋」を使っていたようでもありますね。
その出自は、不明なことも多いですが、奈良の生駒の平群辺りの領主であったのでしょう。
後に、石田三成に三顧の礼をもって迎えられ、真偽の程は分かりませんが、一説には三成の石高の半分の破格の高禄を食む重臣として仕えた聞きます。
俗に、「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と言われたといいます。(『古今武家盛衰記』)
当時、こうした言い回しは、家康公にも、「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」とありますよね。
徳川四天王の一人にして、絵では首に大きな数珠を付けている武将ですよね。
それに、愛槍「蜻蛉切」は、「天下三名槍」の一つに数えられている名槍で、茎(なかご)には「藤原正真作」の銘がありますよね。
本多平八郎忠勝が居なければ、徳川家康が天下統一することも出来なかった重鎮です。
話は戻って、島左近の娘の珠は、あの剣豪の柳生利厳の継室となっています。
また、剣豪として名高い柳生厳包は左近の外孫にあたるようです。
柳生の本流は、尾張柳生です。
日本中に、生き延びたと言う伝説が残っています。
凄い武将です。
「左近の桜に、右近の橘」から話が横道にそれましたね。
それたついでに、左近と言えば、昭和期に活躍した松竹芸能所属の浪曲漫才トリオの宮川左近ショーでしょう。
これは外せませんね。
随筆集『浪曲半世紀』は未完のままですが、それは残念です。
♪毎度おおお~ 皆様おなじみのお聞きき下さる 一節は、流れも清き宮川の水にただよう 左近ショー男同士で 至って色気はないけれど 熱と力で今日もまた あ、しっかりやりましょ時間まで それでは陽気にあっああんあん あつとめましょう
懐かしいです。
私の中では、桂吉朝さん、桂都丸(塩鯛)さん、桂む雀さんのが「平成紅梅亭」でのパロディーバージョンも好きですよ。
腹抱えて笑えます。
また、YouTubeの動画見たくなります。
話は横道に脱線しましたね。
六代目笑福亭松鶴の落語「貧乏花見」の中に、古いの日本橋3~5丁目辺りの長屋の話が出て来ます。
当時の長屋を「何々裏」と読んでいたようでその中に、三月裏と言う長屋があった話を思い出します。
どうして三月裏かと言うと、三月のお雛さんの菱餅のように傾いていたようです。
私のよく行く日本橋の4丁目あたりなら、まさにそのど真ん中ですね。
いろいろとその余韻は残っていますね。
菱餅と言えば、ピンクと白と緑の三色です。
そこで、話が繋がったですよ。
嫁が、休みの日に、苺の三色ヨーグルトムースを作りました。
グラスの層が、ピンクと白と緑の三色です。
雛祭りに向けて、いろいろと試行錯誤しているみたいです。
天に、苺を盛りました。
味も家で作ったので、あっさりしています。
なかなか美味いです。
甘さも控えています。
添加物は入っていないので、日持ちはしませんよ。
5歳児ゆうゆう、一心不乱に食べています。
苺も大好きです。
ムースも大好きです。
好きと好きで、大好きです。
嬉しそうに食べています。
親子3人のささやかな幸せを感じる時間です。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。