5月5日は、子供の日ですね。
3月3日が、女の子の桃の節句のでしたから、5月5日の端午の節句は、男の子の節句です。
仏の世界では、蓮の日ですね。
5歳児ゆうゆうとも、散歩をしていると、近くの家でも鯉のぼりを立てられています。
何とも言えず、いい感じです。
子供がいるのは、社会の成り立ちとして、必要不可欠です。
武門にあっては、男子出生は特に愛でたいです。
跡取りが生まれたとなれば、ジジババは、歓喜でしょうね。
家が続くのは、幸せなことです。
家とはそうして、繋がれてきたものです。
私は次男ですから、傍系ですが、直系には、昨年男子が生まれましたので、17代目の誕生です。
私の父母も、ジジババから一歩進んで、曾ジジババになりました。
とは言え、離れた所に住んでいますので、まだ会ったことはないです。
この17代目には、4組の曾ジジババが居るようです。
やはり、日本は長寿の国ですね。
とは言え、子供が少なくなってるとは言え、娘の保育園に行くと、子供が沢山いますからね。
保育園でも、お雛様も飾られていましたので、端午の節句は、鎧兜です。
なかなか凛々しいです。
お前立も龍です。
形も古いタイプの大鎧でなく、江戸期の鎧兜です。
保育園ですから、太刀や短刀や槍はありません。
あればもっと映えしたでしょうね。
戦国の兜と言えば、変わったモノが多いです。
変わったと言えば、「愛」のお前立の直江山城守兼続の愛の字の前立です。
愛染明王だとか、愛宕神社だとか、愛民だとか、いろいろと謂れがあります。
戦国時代に「愛」の字は、インパクトがあります。
直江山城守兼続と言えば、当時一流の文化人でもありますので、その意味する所は、凡人には理解できないものです。
山城守の漢詩、「春雁似吾吾似雁 洛陽城裏背花帰 (春雁吾に似たり 吾雁に似たり洛陽城裏花に背いて帰る)」、私は好きですね。
利休居士の切腹の後、細川邸で句会で作った「花の後(のち)帰るを雁(かり)の心かな」と、漢詩の得意な山城守が、あえて漢詩でなく詠んだ。
これに幽斎が兼続に対して、この句を漢詩ならどう表現されるかという問いに対して、即興で作った漢詩が、「春雁似吾吾似雁 洛陽城裏背花帰 (春雁吾に似たり 吾雁に似たり洛陽城裏花に背いて帰る)」ですね。
教養人の山城守の意図するところが、遺憾なく感じられます。
利休の死に対するいろいろな思いが感じられます。
武門の誉は、戦だけでなく、高い文化人としての教養も必要とするものだと思います。
人として、義を貫き、愛に生きた方でしょうね。
子供にも、人としての気高い生き方を教えたいものです。
金銭や名誉や地位、そうした事も必要だか、それは結果として後から付いて来るかもしれません。
でも、自分の分があるはずです。
自分の分を知り得ることも必要でしょう。
娘には、四季に応じた家族の時間を大切にしてやりたいです。
旬も敏感に感じて、旬の食材を食し、季節季節の行事を大切にして、人間形成の役立ててほしいモノです。
多くは求めません。
子を成して、親となり、また、人並みの幸せを感じて貰いたいですね。
娘の幸せを祈るばかりです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。