コロナの家籠りで、ユーチューブの動画で、落語などの話芸を聞くことが多くなりました。
それに最近、落語家さんが、複数チャンネルで、落語とどう言うモノなのか、階級や亭号などの解説動画が多く出ています。
もう少し、落語の内容にも触れて貰いたいですね。
白山ティビーの高田さんとの昔の寄席話を聞いた時は、面白かったですね。
小学校5年生にして、生の三平が見たいと、友達に学校を休んで、寄席に行った時の小学5年生での寄席や芸人さんの目線が楽しいですね。
それに、寄席のライブ感は、聞いていて当時の子供の目線が見られて、貴重な話だと思ったくらいです。
演者による落語の噺の違いとか、玄人的な話も聞きたいし、今やらなくなった古い噺のあらすじなど聞きたいですね。
そう昔聞いた馬風師匠の小さん師匠の思い出話も、大変楽しく聞きましたね。
落語の枕が長すぎて、本題以上に、盛り上がったからね。
そうした昔の大師匠の名人芸の話も聞きたいです。
先代の三代目 三遊亭 圓歌の枕も面白かったですね。
そうした枕を蘊蓄めいた為になる話を聞かせる落語家さんも少なくなったと感じますね。
寄席に行って枕を聞いたら、面白いだろうなって思いますね。
やはり、何をするにも舞台や寄席を見ると違うと感じます。
歌舞伎も、このコロナ騒動で、いろいろと大変です。
舞台の実際のライブ感はいいでしょうね。
YouTubeの動画を見ている、古い落語の音源があります。
先日、その中の八代目林家正蔵の落語を聞きました。
嘉肴(かかう)有りといへども食せざれば其の味はひをしらずとは。国治まってよき武士の忠も武勇もかくるゝに。たとへば星の昼見へず夜は乱れて顕はるゝ。例(ためし)を爰(ここ)に仮名書きの太平の代の。・・・と言えば、『仮名手本忠臣蔵』の大序・鶴岡の饗応、鶴岡兜改めの段ですね。
要するに、美味しいモノは実際に食べて見なくては分からないし、平和な世の中では立派な武士の忠義も武勇も同じこと。それは例えば、星と言うのは、昼には見えなが、夜になれば空に沢山現われるのと同じこと。普段は見えなくても忠義の武士は、あるべき処には、確かに存在する。そんな武士たちの話を分かり易く仮名書きにして、これから説明することにしようと言う最初の大序の口上なんですね。
本当の武士の忠義は、見えないものです。
高禄であれば、忠義が強いとも言い難い。
微禄であっても、忠義の真心は、何ら変わりがないのが、世の常です。
八代目林家正蔵の落語「淀五郎」の中に、この台詞が入っています。
それに、親方の三河屋が淀五郎に叱るシーンも、それほど他の演者のように、嫌味には聞こえませんね。
理路正論と5万3千石の大名の切腹シーンの的を付いています。
三河屋の親方が、「本当に腹を切って貰いたい」と言うのは、性根を入れて、本当の判官の形として、腹を切って貰いたいと言っているように聞こえます。
誰の形もありませんから、それじゃ「形なし」ですからね。
八代目林家正蔵師匠は、落語「淀五郎」の中で、中村仲蔵を、舞鶴屋の親方と呼んでいますね。
他の落語では、屋号は、堺屋(のちに榮屋)のですから、堺屋の親方と呼ばれていると記憶しています。
この辺りも、少し違うんですね。
演者によっても、それぞれと違いを感じますね。
八代目林家正蔵の三河屋が淀五郎の叱るシーンは、他の演者の様に意地悪さも感じないし、パワハラ紛いにも感じなかったですね。
その分、舞鶴屋の仲蔵には、他の演者と違う温かみを感じなかったですね。
八代目林家正蔵の歌舞伎の語りは、好きですね。
素人にも分かり易いように、順だって語られますね。
最初に戻って、美味いかどうかは、とりあえず食べて見ないと分からない。
先日の同じメーカーの塩ラーメンに続いて、醤油ラーメンをたべて見ました。
値段は同様の税込みの77円でした。
うーん、味の感想は、普通の醤油ラーメンでしたね。
ただ、麺の黄色の発色と見た目に比べて、麺は太目に感じましたね。
ランチタイムの味噌汁代わりに、インスタントラーメンを頂くのは、麺好きの私としては、嬉しいです。
体の事も考えて、インスタントラーメンも、少し控え気味にしています。
麺を食べるなら、半生麺か、乾麺を茹でて、うどんやそばやにゅう麺にして頂いています。
時間のない時だけに、インスタントラーメンを頂くことが多いです。
たまに食べると、いいかもです。
深夜の夜食のインスタントラーメンは、長い間食べていません。
ランチに食べるくらいです。
肥満やカロリー過多、塩分など成人病との関係も考えると、月に何度かにする位です。
麺の旨味に、ランチタイムの誘惑を深く感じますよ。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。