''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家のスィーツものがたり 水菓子 無花果(いちじく) より。 

お題「ささやかな幸せ」

先日スーパーに行った時、嫁が無花果を買っていたみたいです。 

日曜日のランチタイムの後に、無花果が食卓に上った。 

もちろん、5歳児ゆうゆうも食べます。 

 

嫁と暮らし始めてから、何度か食べた無花果です。 

30年近く1人暮らしをしていた折には、一度も買って食べたことはなかったです。 

子供の頃にも、近所の無花果を植えている家から、おすそ分けして貰って、何度か食べ位です。 

 

子供の頃から、これが果物に入ると言うのが、何だか不思議な気がしています。 

もちろん、無花果と言う不思議な当て字も、違和感がありますね。 

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色々調べてみると、1600年以前の安土桃山時代に日本に神父がポルトガルより伝来したと聞きますね。 

伝来当時の日本では、「唐柿(からがき、とうがき)」、「蓬莱柿(ほうらいし)」「南蛮柿(なんばんがき)」「唐枇杷(とうびわ)」など呼ばれていたようですね。 

 

原産地はアラビア南部や南西アジア言われているようです 

その歴史は古くメソポタミアでは6千年以上前から栽培されていたり、地中海周辺でも、エジプト、ギリシアなどで紀元前から栽培されていた記されています。 

古代ローマ人も食し、最もありふれた果物のひとつであったと聞きます 

 

古代ローマ人も食したと言えば、何か由緒ある果物に思えてきますね。 

当初はの為に栽培されたと聞きますがその後庶民が果実を生食して甘味を楽しむようになり、挿し木で容易にふやせることも手伝って、手間のかからない果樹として家庭の庭などにも広く植えられるのが、日本に定着してようですね。 

 

挿し木と言えば落語「植木屋娘」ですよね。 

米朝さんの落語が、懐かしいです。 

 

噺は、お寺の門前で繁盛している植木屋の主人の幸右衛門は、女房と16歳に自慢の小町娘のお光との三人暮らしです 

 

幸右衛門は、字が書けないので、寺の和尚に節季の請求書書いて貰おうといつものようにやって来る。和尚は所用で手が離せないある、寺の居候、武家伝吉に書かせると言うことになった。因みに居候の伝吉は元々れっきとした武家の出で、いずれ五百石の家督を継ぐ身と言うことになっている。和尚は伝吉を呼び事情を話して植木屋へ向かわせる 

 

伝吉は幸右衛門が書き記した請求の帳面記されている絵文字ような、記号のような意味を教わりながら、百ほどの請求書(書き出し)を書きえてしまった。 

あまりに喜んだ幸右衛門は、「これからは和尚でなくあんたに頼む」と、その礼を兼ねて酒肴で歓迎して、その後寺へ帰した。 

 

ここから、娘のお光に気持ちを聞いて手順を踏まえて伝吉お光婿養子に貰おうとするが、和尚様は、五百石の武家を植木屋の養子にするわけもなく、この話を断る。 

 

いろいろと策を練るが失敗が続く最中の事、幸右衛門家に帰ってから、お光の腹に子が居ることが分かり、母親が父親を問いただすと、運よく伝吉だとお光は言ったものんだから、話を強引に進める幸右衛門です。 

 

妥協案末に出来た子供があちらの武家を継いて、伝吉はお光と一緒に暮させると言うモノです。 

オチは和尚が武士の家を、勝手に取ったり継がしたりできるかいな」言っても植木屋だけに、「接ぎ木も根分けも、うちの秘伝でおます」でしたね。 

 

どこでもよくある話です。 

家の事情とは別なのが、男女の中ですよ。 

ただ、手順は必要ですから、いきなり、腹に子供が居ると言うのは、詐欺師の手口ですよ。 

嘘も方便ですが、手順は大事です。 

式を挙げて、籍を入れたからなら、問題はないはずですよ。 

 

一昔前は、出来ちゃった婚と言われたものですが、出来ちゃった婚の離婚率も多いのは現実です。 

何もきちんと話をせずに、夫婦に慣れるものではありませんよ。 

結婚は、本人だけの関係で成り立ってるものではありませんからね。 

その本人たちの関係も、本質は何もなく、子供が出来たらから結婚では、夫婦の結びつきは薄いです。 

 

夫婦である以上、もめることは多いです。 

それを乗り越えたどうかでしょう。 

また、もめないようにするのも、家の中を平穏にするテクニックです。 

教会で、神父や牧師の言葉で、主に誓ったんでしょう。 

 

健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓います 

 

我が家は、天満の天満宮で式を挙げましたので、神様に誓いの詞を二人して伸べましたよ。 

当時は、スマホに誓いの詞を入れて、式までの間に何度も何度も、間違わないように練習したものです。 

嫁は最後に、「妻〇〇」というだけですからね。 

 

式当日は、天満宮を貸し切りでしたので、禰宜さんも巫女さんも1回勝負ですから、緊張感がありました。(当日は、私たちの式だけでした) 

本人が、間違える訳にもいかず、人生で5本に入るくらいの緊張感がありましたね。 

 

もちろん、我が家は手順を1つ1つ踏んでいましたので、出来ちゃった婚ではありませんよ。 

嫁も42歳で「出来ちゃった婚」なら、それはそれで、悪くはないでしょうからね。 

夫49歳嫁42歳晩婚での天満宮さんでの式でした。 

 

それから、数か月後に、嫁の妊娠が分かって、出来婚の疑惑もありましたが、否定しましたよ。 

計算は、きちんと合います。 

 

50歳43歳の6月の妊娠発覚から、早いモノでもうすぐ6歳になるそんなかわいい娘を交えた3人暮らしです。 

手順は大事子は大事、それなら落語の「幽霊飴」になり、話が長くなりますので、ここでドロンさせていただきます。(映画「モテキ」の長澤まさみさんみたいに、両手を添えて下さい。) 

この記事のオチは、死語(死後)の世界と言う事で、♪チャンリンチャンリン デンデン。 

 

親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。               

ありがたいことです。             

             

ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。               

ありがたいことです。               

               

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。               

神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。               

ありがたいと感謝です。               

               

落語「植木屋」の「う」

 

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