先日、夕飯時に、ゆうゆうが何かリクエストがありました。
すでに食事の用意はしています。
もう一皿何かプラスして欲しいとのリクエストでしょう。
餃子が食べたいとのことです。
先日、スーパーの買出しに行った時、餃子が食べたいとリクエストしていたので、市販の 日本ハム 羽根付き餃子を買っていました。
中に、羽根つき餃子の羽根の素が入っています。
これを入れて、焼くわけです。
私のやり方とは違いますが、この羽根の素でも上手に焼けます。
ただ、テクが必要です。
テクと言うのは、どうしたら焼き上がったかという基準が見えないからです。
完全にカリカリになったら、フライパンを揺らして、羽根つきの餃子のまま、お皿に移します。
ここもテクが必要です。
フライ返しでやると、羽根が壊れます。
若い時に、ラーメン屋でアルバイトしていましたので、焼き餃子は慣れたものです。
でも、上手に焼けるまで、あちらこちらの王将に行って、焼きのテクを何度も盗みに行ったものです。
王将は、焼き手によって、だいぶと仕上がりが変わります。
簡単そうに見えて、餃子の焼きのテッパンが出来上がってるので、水を入れてすぐに仕上がります。
ここが、お店と家との違いです。
道具が変わると、テクは通じません。
中華料理屋さんでも、餃子の焼き器を用意していない店もあります。
ただ、焼き餃子用の鍋は使っておられると思いますね。
蓋がないと、上手に仕上がりません。
店によっては、水を入れたり、お湯を入れたりして、蒸し焼きに仕上げます。
最初の油加減は、少ない目にして、仕上げの段階で、少し油を入れるお店もあります。
でも、ある程度の要領は決まっていると思います。
私は、水を餃子の肩近くまで入れるタイプです。
水分が多過ぎると上手く行かないこともありますが、水が少ないと餃子の皮がパリパリしません。
水加減が難しいです。
水に入れて、餃子を見ると言えば、禅語の「入水見長人」(みずにいれてちょうじんをみる)を思い出します。
平たく言えば、まずはさせてみることですね。
特に、非日常になった時ほど、その人の人間性が現れるものです。
長人とは、すぐれた人物と言う意味があるようです。
唐の則天武后が、禅に関心を寄せていて、北宗神秀(ほくしゅうしんじゅう)を手厚く遇していたが、ある日当時の有名だった嵩山慧安(すうざんえあん)の二僧を禁中に招請して供養させました。
山中で修業しているので、沐浴の接待を女官にされたら、高名な北宗神秀(ほくしゅうしんじゅう)は、煩悩を怖れて辞退したが、嵩山慧安(すうざんえあん)の方は、悠々と女官の接待を受けて汗を流したと言います。
この顛末を聞いて、則天武后は、「水に入れて始めて超人の有ることを知る」と知りえたと言う事になります。(我が愛読書 『禅語の茶掛 一行物』羽賀幸四郎著 淡交社刊 より)
世の中の評判と、実際の本当の言動とは、違うことがあるんですよ。
確かに、世の中の評価には、こうしたことがよくあります。
まずを、何かさせて見てから、人を評価すべきでしょうね。
その機会を上げることも必要です。
コロナ禍で疲弊した社会や会社を、ここぞとばかりピンチをチャンスに返す機会を得たリーダーや経営者こそ、こうした機会を得られるべきでしょうね。
長人と言っても、バロムワンとは関係がありません。
子供の頃の変身モノですね。
♪マッハロッドで ブロロロロー ブロロロロー ~
擬音語だらけの歌詞のイメージですね。
水木一郎・コロムビアゆりかご会の「ぼくらのバロム1」(作詞:八手三郎,作曲:菊池俊輔)の懐かしい歌が思い出されます。
主人公は、2人です。
初期設定では、2人で合体して、1人の超人バロムワンに変身します。
ウルトラマンエースと似ています。
こちらは、北斗と南の男女コンビの合体で、ウルトラマンエースに変身です。
北斗と南の禅語は、次回の機会にしてみたいところです。
焼きが廻ったと揶揄しないで下さいね。(笑)
前後(禅語)不覚のサゲになりました。(チャンリンチャンリン デンデン!!)
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。