''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「フリーにはたらく」って、人間らしく働くことじゃないの。

 

「フリーにはたらく」って、難しいことは、置いて置くが 人間らしく働くことになると思う。 

  

人間らしいって、これも、人によって違うと思うけど、家族が居るなら、家族と一緒の時間を楽しめることでしょう。 

  

楽したいというのでなく、家族との時間って言うのは、単純に家族と食事する時間や日常を過ごせる時間ってことです。 

  

東日本大震災で、今まで普通にあった日常が、崩壊したでしょう。 

  

毎日、仕事から帰って来て、家族で夕飯を食べる。 

どういうことのないささやかな日常の暮らしです。 

  

思う浮かぶのは、家族の夕飯に、小学生の子供に、今日なにして過ごしたって、聞くでしょう。 

  

子供が、今日は誰々ちゃんと、こんな遊びやこんな事があったと話すでしょう。 

  

それなら、担任の先生の名前、仲のいい友達の名前が、自ずと3人くらいは、会ったことがない父親でも言えるわけですよ。 

  

それでいいと思うんです。 

ささやかな暮らしの中に、そうした家族の時間を共有できる時間があったと言う事です。 

  

もし、東日本大震災で、日常がなくなり、違い場所に生活の基盤を移して、父親は不慣れな仕事をするわけです。 

 

そうなると自然と、家族での時間も無くなる。 

今まであったささやかな日常の暮らしが消え去ります。 

 

東日本大震災「幸せ」の概念が変わったことも多いはずだ。 

このコロナ禍で、いろいろと生活が一変した方も多いでしょう。 

 

今まで、普通に以後として暮らしていたのに、職種によっては、リモートワークで、家族と過ごせる時間の増えた方も居た半面、仕事がなくなって、更に求める求人すらない状況になった方も多いですね。 

 

中には、バイくや自転車で、宅配サービスで、走り廻った居た方も居ると聞きます。 

やはり、家族で過ごせる時間が減ったと言う事です。 

 

フリーに働くと言うの、そうした時間を確保できる仕事を意識することでしょうね。 

フリーと言うのは聞こえがいいが不安定です。 

フリーと言うのは実はフリーでないんですよね。 

 

勤務時間がないから、常に時間に追われることになります。 

発想の転換家族の時間を作ることは逆に可能です。 

その分その他の時間を犠牲にしても、大事な家族との時間を確保できる仕事が、人間らしい暮らしだと思うなぁ。