''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家の食卓ものがたり 鯖の塩焼き 大根おろしを添えて  

お題「ささやかな幸せ」

先日の週末に、家族3人でスーパーに買出しに行って、鮮魚売り場に行くと、汐鯖が特売です。 

これは買でしょう。 

切り身でなく、半身が2枚入っています。 

 

これを、家の出刃で食べよい大きさと、弁当用の小さなモノに切り分けました。 

真ん中に、切れ込みを入れています。 

何もルフィの腹の傷ではありません。 

火の通りがいいように、隠しの庖丁と飾りの庖丁です。 

 

汐した鯖ですから、塩は振りません。 

ガスコンロのグリルに、魚焼き用の引っ付かないアルミシートを敷いて、その上に切った鯖の切り身を乗せて、7分ほど焼いた次第です。 

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その間に、郷里から送られて来た大根を、大根おろしにして、焼きあがった鯖に添えました。 

大根の皮は、食べよい大きさに刻んで、袋に入れて、昆布を少し鋏でカットして、塩をして大根の皮の漬物にしています。 

 

郷里の大根は、無農薬ですので、安心です。 

大根の皮をゴミするのでなく、美味しく頂くのは、エコですからね。 

それ以上に、市販品と違って、無農薬ですので、これが美味いんです。 

花鰹を上に散らして、漬物にすると、これで日本酒が吞めます。 

 

この時期にしか食べられないご馳走です。 

大根おろしにもします。 

今回みたいに、鯖の添えモノにもしますし、大根おろしをして、その大根の汁を絞って、大根おろしとは別に器に入れて用意して、その汁を呑みます。 

これも、無農薬の大根は、甘いですね。 

大根の味がします。 

 

辛味はあまりありません。 

辛味大根という辛い大根を大根おろしにして、そばにつけて食べるといえば、池波正太郎好きの読者なら、あの小説だと察しが付きますね。 

正月四日の客」ですね。 

本所・枕橋にある小さな蕎麦屋「さなだや」名物さなだ蕎麦でしたね。 

ねずみ大根でしたけね。 

 

食べたことはありませんが、辛い蕎麦を食べたことはあります。 

大根おろしの辛いのは、少しの事で、また食べたくなります。 

大根おろしの特徴です。 

 

料理屋では、だし巻き玉子に、大根おろしを添えることもありますが、私のバイトしていた店では、大根おろしに醤油と味の素を少量入れて、味をつけて盛り付けていました。 

私は、味の付いていないモノが好みです。 

 

もちろん、小鉢で大根おろしを作って、ここにおじゃこ入れて、醤油を少し垂らして、これをおかずに、白いご飯を頂くのは、好きですね。 

そばにしても美味いと思います。 

 

体の中の胃が軽くなりそうに気がします。 

生野菜を食べると、体の中の血がきれいになるような気がします。 

 

ただ、江戸時代では、基本生野菜は食べませんからね。 

胡瓜とか、特定のモノは、味噌やもろみをつけて食べるくらいです。 

それも、百姓や町人のモノですね。 

武士は、特に旗本・御家人は、胡瓜の切り口が、三つ葉葵に見えるので、将軍家を憚って食べなかったと聞きます。 

平蔵さんに聞いてみないと、真偽の程は分かりません。 

 

それなら、胡瓜の漬物や酢の物も食べないという事でしょう。 

表立ってはと言うことだと思います。 

胡瓜の漬物は、美味いですからね。 

浅漬けでもぬか漬けでも、美味いです。 

 

江戸時代には、白菜の漬物は、ありません。 

白菜は、明治に入ってから日本に入ったと聞きます。 

大根は、江戸時代にもありました。 

漬物と言えば、大根の漬物のイメージですよ。 

 

商家でも、店で大根の漬物を漬けると聞きます。 

これが、使用人のメインディッシュだと言われるくらいの大事なおかずです。 

持ちをよくするために、塩が強かったと思いますね。 

 

江戸時代、特に元禄時代で塩と言えば、赤穂の塩が高級品で有名です。 

将軍家の朝の歯磨きも、赤穂産の塩を愛用されていたとも聞きます。 

 

極月半ばの14日と言えば、赤穂浪士の吉良家の討ち入りの日です。 

あちらこちらで、義士祭りが行われています。 

赤穂の塩は、元禄時代の塩の生産の500万石内、約8%の40万石が赤穂産だったという書物の記録を見たことがあります。(『NHK歴史への招待5』昭和55年発刊) 

 

吉良家でも、塩を作って居りました。 

吉良家が、浅野家に塩の製法をめぐって、一悶着あったり、この塩が松之廊下の刃傷事件の原因だとする説まであると聞きます。 

 

延宝年間には、赤穂の石高5万石に加えて、塩田による収益が、年間に石高換算にして3万~5万石程の収入があったという記録もあります。(大石学氏の『歴史街道』1999年3月号より参照) 

浅野家は、大変裕福な家だっという事から、内匠頭は2度にわたって、勅使饗応役になっているのを見ても、幕府は裕福だと見ていたことが分かりますね。 

 

塩が赤穂事件の原因なら、「縁(塩)があった」と言うことでしょう。 

徳川家康が、室の阿茶局に「この世で一番うまいものは何か」と尋ねがあると、局は「それは塩です。山海の珍味も塩の味つけ次第。また、一番まずいのも塩です。どんなにうまいものでも、塩味が過ぎると食べられなくなります。」と答えたのは、有名な話です。 

汐鯖も、塩加減で美味くもなりますし、まずくもなります。 

やはり、塩は塩梅が何より大事でしょうね。 

 

親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。               

ありがたいことです。             

             

ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。               

ありがたいことです。               

               

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。               

神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。               

ありがたいと感謝です。               

               

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