先日奈良公園に行った記事を書きました。
建前は、春日神社に参拝と言う名目だが、人が多くととても初詣の参拝は無理だった。
超過密になって、コロナ感染しても嫌だし、参道には露店もいっぱい出ていて、少し人流が怖かった。
屋外ですから、換気はいいですが、人が固まると感染拡大しそうです。
まして、露店の横で食べている方も多かったです。
唐揚げや焼きそばも美味しそうだが、やはりこの密の中で立って座って、この場での飲食は危険ですよ。
中には、マスクしていない方も居て、何を考えているのか、不安いっぱいだった。
ですから、帰りは参道から離れて、奈良公園内を遠回りして、帰って来ました。
すると、途中に歌碑があった。
秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花
と書いてあるようだ。
山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)が、秋の野の花を詠んだ二首の内の一つだと言うことらしい。
意味は、「秋の野に咲いている花を指折って数を数えれば次の七種類の花が美しい」 と言うようです。
この七種とは、秋の七草になっていると聞きます。
正月の7日と言えば、七草粥の時期でしょう。
七草は、時代や地域によって異なるようですが、一般的に芹(せり)、薺(なずな)=(ペンペン草)、御形(ごぎょう・おぎょう)=(母子草(ははこくさ))、ハコベラ、仏座(ほとけのざ)、菘(すずな)=(蕪)、清白(すずしろ)=(大根)を指しすようです。
仏座は、あくまで七草の時に使う名です。(別に仏座と呼ばれる植物もあるようです)
スーパーでもすでに七草粥のセット商品が売られていました。
とりあえず、我が家でも七草粥の雰囲気の粥は用意したいところですね。
美味しいモノがいいです。
そう言えば、花と言えば、「南方録」には千利休の教えとして禁花を示してありましたね。
「花入に 入れざる花は 沈丁花 深山しきみ(樒)に 鶏頭の花 女郎花 ざくろ(柘榴) こうほね(河骨) 金銭花(金盞花) せんれい花を 嫌いこそすれ」
(この中のせんれい花と、よく分かっていない)
限定する花ではなく、代表する花なので、下記の花等も避けるべきでしょうね。
匂いの悪い花、また強すぎる花、
棘(とげ)の多いもの、毒のあるもの、
名前やゲンの悪い花(別名を使って使うこともあるらしい)
とは言え、時代によって変化しているようで、今は、女郎花(おみなえし)は利用されていると聞きますよ。
秋の七草の中に入っていますね。
女郎花とあるので、「じょろうばな」と呼ばないようですね。
それじゃ、鬼滅の刃の遊廓編みたいですよね。
子供さんの見ちゃだめの深夜にやっているんでしたね。
遊廓って聞かれても、子供には答えにくいので、吉原編とか、色里編にしたらいいと思うんだけどね。
それでも一緒か? いえいえオブラートが1枚掛かると、また違いますよ。
それに、遊廓と言えば、どうしても、花又花酔の川柳、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」を思い出します。
ただ、池波正太郎氏の記述は読むと、確かに苦界もあったが、それ以外の世界もあったと思えますね。
大石内蔵助の「里げしき」
さすが涙のばらばら袖に こぼれて袖に 露のよすがのうきつとめ~
コロナ禍では、もっと苦界に住している方も居ますからね。
昔の方が悪かったのか、今の方が悪かったのか、こうであると言える世界でもありませんね。
とりあえず、我が家は平穏に暮らさせて貰って、神仏に感謝です。
穏やかに日々の暮らしの中にこそ、幸せはあると言うのが感じられます。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。