週末、いつものように、ランチタイムは、週変りでパンかピザになります。
時々麺もあります。
手軽に、家でランチタイムを楽しめるようにしています。
コロナ禍でも、密を避けて、家籠りです。
大阪でも感染者が下がっています。
まだ油断は出来ないのが現状ですね。
家なら飲食もある程度自由が効きます。
それならと、朝から嫁が生地をこねて、ピザの生地を作ってくれました。
6歳児ゆうゆうも、お手伝いしてくれます。
生地をこねて、コタツの中で発酵させて、寝かせています。
そして、昼前になると鉄板に伸ばした生地を用意します。
その上に、トッピングです。
トッピングには、娘のゆうゆうもお手伝いしてくれます。
熱々の鉄板のまま、食卓に持って来ます。
下に敷板を用意しています。
鉄板の上で、ナイフで切り分けて、銘々の皿に取り分けるスタイルです。
熱々を食べるのは、なかなか至福です。
東芝の石窯オーブンのお世話になっています。
ほぼほぼピザとパン焼きになっています。
たまには、ローストビーフでも焼けるといいんですがね。
それとも、スズキのパイ包み焼きなんて出来たら凄いでしょうね。
名料理人のポール・ボキューズじゃあるまいし、無理です。
ポール・ボキューズと言えば、料理人の地位を上げた方とも聞きます。
日本じゃ、北大路魯山人は、料理人に白衣を着させて、料理自体を芸術の粋に高めた御仁かもしれません。
私が思うには、日本の和食は、見た目にも美しい料理は、それほど多くないと思っています。
器、盛り付け、調理方法、食事をする部屋の設え、部屋に隣接するお庭など、空間の総合プロデュースも、和食の醍醐味です。
まさに、その意味では、魯山人の功績も大きいと感じます。
そもそも、料理を芸術だと考えないでしょうからね。
器も、織部や伊賀の緑釉が、和食にはよく合います。
その反面、銀彩の糸巻なんか、こんな皿どう使うんだと、考えますが、魯山人の盛り付けを見ると、納まりがいいんですね。
それも失敗した備前焼のリサイクルですからね。
不思議な感覚になります。
陶芸と言う芸術の魔法かもしれません。
東芝の石窯オーブンから、焼き物の話に派生しましたが、普段使いできる自分好みの器は、楽しめます。
値段の多寡ではないと思っています。
毎月21日は、東寺の弘法さんと言うのが、私の中では定着しています。
京都に居た時は、時折覗いておりましたが、コロナ禍ではこうした密を避ける市は、いろいろと制限されているのかと、思う次第です。
また、普段の生活に戻れば、子供連れで京都に行きたいですね。
京都が恋しい気分です。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。