今年の冬は、汁物を作ることが多かったです。
寒いからですね。
寒い夜には、舌の切れるような熱々の汁物です。
少しトロ込みが付けば、更に冷めにくいです。
京都の冬に、うどんと言えば、たぬきうどんやあんかけうどんが好まれます。
トロミがあって汁物が冷めにくいからです。
天に、摺り下ろした生姜が添えられると、更に体が温まります。
我が家の汁物にも、粕汁や豚汁など、冷蔵庫の掃除を兼ねたモノが多いですね。
野菜を沢山使うとなれば、汁物か、カレーか、シチューと相場は決まっています。
要するに、汁物かスープ類が、最適です。
そんな汁物に、欲しいのが、唐辛子ですね。
私は自称イチラーですから、一味唐辛子をフリフリすることが多いです。
粕汁や豚汁に、白菜や野沢菜の漬物に、一味唐辛子をフリフリするわけです。
辛くしたいのでなく、ちょっとした辛味の刺激を、旨味に変えたいだけです。
Hachiの詰め替え用の一味唐辛子です。
一味唐辛子を少しフリフリすると、これまた塩味を強くしないでも、旨味を感じます。
一味は、七味とは、別ですね。
1、2、3、4、5、6、7、8(hatch)と話も続きます。
七味は、香りも楽しめます。
京都で売られている七味の中には、山椒が強いモノがあります。
これはこれで好きですね。
粉山椒が好きなんです。
鶏肉の山椒焼きなんかは、特別旨味を強く感じます。
もちろん、添えのキャベツに、鶏肉の山椒焼きのタレをかけまわすと、これまたキャベツがご馳走に早変わりします。
赤だしにも、粉山椒少しフリフリすると、味と香りが良くなります。
急に鶏肉の山椒焼きが、食べたくなりましたね。
鰻も久しく食べていません。
鰻高騰の折ですから、我が家にも絶えて久しく鰻を食していませんね。
子供が居ますので、巨大で安価でも、中国産は敬遠しています。
鰻と言えば、若い頃、うなぎ屋さんでバイトしていました。
一番つらい食べ物屋さんのバイトです。
串打ちが、辛すぎます。
その店では、裁いた生の鰻に竹串を刺します。
素人が刺せる代物ではありません。
いつもの手先は血だらけでした。
これが一番つらい作業だったかもしれませんね。
初日で、無理ですと言いたかったですね。
鰻の焼と山椒の匂いを嗅ぐと、その時の事を思い出します。
国産の生きた鰻を裁いて、串打ちして、素焼きして、洗って、蒸して、タレ焼を繰り返して、ゃっと出来上がりです。
素人ですから、裁きはしていませんし、メインの焼の作業はしていません。
時折、焼き場で焼の用意をするくらいで、炭を用意しての焼の処方が有った位です。
油断すると、すぐに竹串が焼けますね。
熱々の竹串を触ると、じゅっと音がします。
毎日火傷の連続でしたね。
うなぎ屋の修業は辛いです。
たまたま、人が居なすので、うなぎ屋のバイトに回されただけで、うなぎ屋さんになる予定など全くなかったバイトです。
どこかでこの、鰻の串打ちのスキルが使えるとは思いませんけどね。
でも、鰻の血に毒があるのは、うなぎ屋に行って初めて知りません。
鰻は、頭を切られても、そのまま少し生きています。
それにも、知らなかった事でしたので、驚きました。
頭だらけのシンクを掃除をしている時に、頭を落された鰻の頭に、噛まれたことがあります。
鰻も、生命力強すぎます。
鰻は、別名水蛇です。
鰻の神様が祀られている神社があります。
歴史的に大きな意味のある神社です。
後白河天皇の中宮、平滋子建春門院様が、皇子のないことを嘆かれ、三嶋大明神を御崇敬されたところ、高倉天皇が授かったと言う事です。
現天皇家にも大きな意味がある神社さんですよ。
男系天皇に纏わる窮地を救って下さった神社さんです。
平成6年には秋篠宮殿下と紀子妃殿下が参拝されています。
秋篠宮殿下は、平成15年にも参拝されています。
平成18年に悠仁親王が誕生されています。
「三嶋神社」は知る人ぞ知る子授け・安産の神様なんでね。
ご祭神の中に、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)が居られます。
『播磨国風土記』では、許乃波奈佐久夜比売命(このはなのさくやびめ)と呼ばれます。
この姫様のお使いが、水蛇の鰻と言う事です。
霊験あらたかです。
我が家も、晩婚の夫婦ですが、私49歳嫁42歳で夫婦になって、私50歳嫁43歳で子供が授かりました。
観音様に念じたからでしょう。
もちろん、私も若い頃、三嶋神社さんに何度も参拝に行ったことがありました。
霊験あらたかです。
神仏の力を得て、晩婚夫婦にも子供が授かりました。
当然の事ですが、不妊治療とは無縁の夫婦生活でした。
神仏のご加護があったと思います。
偶然ではありません。
偶然の偶然は、必然だったと言う事です。
本当に信じる者は、救われます。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。