先日の記事に、19日の「ABCラジオ上方落語をきく会」の桂二葉さんの落語「らくだ」の話を書きました。
千日前に墓地・焼き場があった時代の話です。
明治7年に、阿倍野に移転していますので、それ以前の話だとすると、明治の初期か幕末までの話になります。
文政4年(1821年)7月、2頭(雄雌一対)のヒトコブラクダが、オランダ船で長崎に到着して、以後十年余り見世物として全国各地(九州、四国、和歌山、大坂、京都、木曽路を通って3年後に江戸、その後場所は不明)を巡業したと言う記録があります。
当時の大坂人もびっくりしたでしょう。
ですから、体の大きい顔の長い人は、「らくだ」と渾名を付けられていたのでしょう。
と言う事は、到着してから1年半としても、文政6年(1823年)頃と推測されますので、ちょうど200年前の昔のことになります。
この後に、落語「らくだ」の設立することになるんでしょう。
落語の中にあった「かんかんのう」は、江戸時代から明治時代にかけて民衆によって広く唱われてようで、子供でも知っていた聞きます。
別名「看々踊(かんかんおどり)」と言っていたようですね。
♪ かんかんのう きうれんす~
「カンカンヌウ(看看奴)」 (当時の人には、かんかんのう と聞こえたのでしょう)
「私(女性の一人称 奴)をちょっと見てよ」
「きうれんす(キウレンス(九連子)=「キウレンクワン(九連環)」
九連環は、中国版 知恵の輪の事のようです。
とりあえず、意味など分かる人の居ない不思議な踊りです。
日本には、何度も中国ブームがありました。
日本には、算数ブームがありました。
後の高度な計算「和算」にも繋がります。
高校の数学では、私には、何に使っていいのか不明なままですね。
サイン、コサイン、タンジェットくらいまでは高校の数学も何とか世界が見えていました。
距離計測などにも使われますからね。
江戸の庶民の識字率も高かったと聞きます。
世界的にこんなに庶民まで識字率の高い国民は居なかったはずです。
ましてや、計算ブームがあったり、中国ブームがあったり、庶民が貸本を利用していたのですから、文化の高い国だったことが分かります。
よく落語「植木屋娘」とかで、植木屋の主人・幸右衛門が字が書けず、請求書を字の書ける寺の和尚に代書してもらう話がありますが、あれも「嘘」でしょうね。
請求書がかけないと、植木屋は出来ません。
庶民の職人でも、日常的な文字は読めたはずです。
まして、主人が読み書きできないはずはありません。
庶民は、寺子屋に行って字を習います。
手習い(読み書き)、そろばんですね。
計算もできる方も多かったはずです。
ですから、算数ブームがやって来たのでしょう。
そうした当時の情報を加味しながら、あの落語「らくだ」を聞くと、いろいろと落語の中から当時の情報を得られるもんですね。
寄席で、落語を聞くような人は、百人一首の和歌も、落語の噺から知り得ていたある程度の教養人だったことが分かります。
テレビの時代劇の江戸時代と本当の江戸時代には、齟齬があるように感じますね。
いつもながら、ごっちゃまぜの私のブログ記事です。
そんなこと言いながら、寒いので、冷蔵庫の掃除を兼ねての、具沢山の豚汁を作りました。
天には白ネギを盛って、イチラーの私には、一味をフリフリしています。
蒟蒻は、手でちぎらずに、庖丁で切って、下茹でして、ある程度の食べよい大きさにして、豚汁にしました。
サイコロの豆腐も入っています。
冷蔵庫の竹輪や平天からも、練物のいい出汁が出ます。
キノコも、ヒラタケとシメジの2種類を入れました。
豚肉も揚げさんも入れたら、具沢山になりました。
ベースは、市販の白出汁です。
これが、いい仕事してくれます。
塩味も少し薄い目にしても、出汁が効いていると、美味いです。
7歳児ゆうゆうも、いっかりと完食してくれました。
ありがたいことです。
この日は、この具沢山の豚汁に、ゆうゆうの大好物の魚卵の詰まったシシャモを焼いてやり、ハムステーキの皿に、焼そば添えてやりました。
娘の大好きな白菜の漬物がなくなったので、代りに鰹節をフリフリした野沢菜を香の物も付けた我が家の夕飯になりました。
至って庶民的な夕飯です。
健康を考えて、多くの食材を取り入れられるように、いろいろ配慮しています。
この日は、サラダがない日でした。
ある時、ない時、それでも、野菜はいろいろと取り入れらています。
日々の食こそ、健康の素だと考えています。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。