週末に、嫁が何か作っていました。
もちろん、7歳児のゆうゆうもお手伝いしてくれました。
最近、よくキッチンに二人して、お菓子作りをやっています。
今回は、何かと言えば、前回の苺大福のリベンジです。
家で苺大福が食べられるなら、それはありがたいです。
苺もスーパーで手頃なモノが売られています。
それを使っての苺大福です。
苺と餡は用意してあります。
大福の生地を作って、包み込むようです。
餡の加減と生地のバランスも難しいようです。
いつものように、桜の皿に盛り付けです。
すでに、家の近くの桜は、散った桜です。
桜は終わっても、苺が手頃な価格で手に入る内は、まだまだ家で苺大福が食べられます。
ありがたいことです。
最近の苺は、種類も多くあって、昔のように傷みは少なくなりました。
それに、かたい苺が多くなって、苺大福に入れても、しっかりと酸味と甘味を感じられます。
餡と苺の酸味がよく合います。
子供の頃は、田舎で住んでいましたので、大量に頂く苺は、傷みが多くて、今ならジャムにして、ヨーグルトに入れて食べると、楽しめます。
でも、当時は、いちごジャムは買うモノであり、家で作ってもシャバシャバでパン用にはならなかったです。
今時のヨーグルトがあれば、良かったのですが、当時のヨーグルトは、瓶入りに寒天の入ったプリンのようにヨーグルトが主流で、すでに加糖されていて、さらにジャムを入れて食べるようなものではなかったです。
それだけ、ヨーグルトも市民権を得たと言う事は、私としては嬉しいです。
当時、我が家でヨーグルトを食べるのは、私だけでした。
家族は、酸っぱいのが苦手だっと言う感じです。
今みたいにヨーグルトの味が、酸味が強いと言う固定感が強かったと思います。
投じヨーグルトと言えば、ヨーグルトの味のラムネが、味のイメージでしたね。
プレーンのヨーグルトが、今みたいに売られていたら、もっと健康的に食べたのかもしれません。
って言うか、私達の父母の世代は、牛乳の馴染みの薄い世代でしたからね。
私も、牛乳は好きではなかったです。
給食の牛乳と言うイメージで、好きではなかったです。
当時の給食では、残すことは禁止でしたからね。
給食の食べ終わらなかった友人は、掃除の時間も食べさせられていましたからね。
そんなことしても、無駄だと思っていましたが、当時の悪しき慣習でしたね。
それじゃ、当時残しても良いと言うと、人参が山のように残ったと思いますし、生野菜も山のように残ったと思います。
食育と言う観点からなら、どうすればいいのか、今でも難しいでしょうね。
でも、美味しく調理する必要性を感じます。
我が家の娘は、好き嫌いはありません。
それは、子供が嫌いだと思うような食材を食べよくするように気を付けています。
サラダも大好き、野菜も大好き、魚も大好き、肉も大好きです。
嫁は、菓子も家で作れるものは作って食べさせたいみたいです。
添加物のないものを目指しているみたいです。
食の安全も、まずは食育の一環みたいですね。
子供の自分が手伝ったお菓子は、気に入って食べてくれます。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。