いつものように、夕食の担務は、私です。
5時半過ぎには用意を始めます。
6時半過ぎには、完成されています。
約1時間の時間を掛けます。
常に時短手抜きを心得ています。
省ける手間は、省きます。
一手間の省略の積み重ねが、時短手抜き料理です。
この日も、毎日のサラダを用意します。
メニューは、玉子サラダです。
なかなか時間が必要です。
時短手抜きと言っても、真逆的なサラダです。
一番時間のかかるのは、やはりポテトサラダでしょう。
ジャガイモの下処理に時間が掛かります。
とは言え、玉子サラダも、茹で卵を作るのに、15分は見ています。
ですから、夕食時期でなく、昼食の時に、茹で玉をボイルしてもいいです。
それがダメなら、5時半前に先にボイルしておきます。
それなら、その間に他の作業が出来ます。
この日は、胡瓜、オニスラ、ハム、玉子の他に、レタスとトマトのカットも用意しています。
胡瓜とオニスラは、水で晒して、水切り器で水分をしっかりと飛ばします。
味の核心になりますので、ここは手抜きはしません。
水切り器をいつも以上に、回すだけです。
ボールに、マヨネーズと、リンゴ酢、レモン汁を加えて、マヨネーズ & ドレッシング用の 泡立て器を使って、地のソースだけを混ぜます。
そこに、野菜などの具材を投入して、最後に茹で卵カットしてモノを投入して、混ぜ過ぎないようにしています。
玉子の黄身が崩れると、マヨソースの地も黄色くなります。
スプーンで、そっくりと混ぜ合わせます。
後は冷蔵庫に入れて食べる直前に、器に盛って提供します。
彩のレタスとトマトを添えました。
茹で玉子以外の時間を見ても、5~7分といったところです。
これなら、何とか時短料理です。
今回は、それ程手抜きしていませんが、スライサーとか使う前提になっています。
ここは、時短して下さい。
とりあえず、同時にメインも仕上げますので、無駄を排除するのが、速さに繋がると思っています。
無駄の排除と言えば、昔のテレビ番組の パペポで、 上岡龍太郎さんが、芸について述べられている中で、芸とは、下品なモノから無駄を排除して、芸になると言うような趣旨の発言をされていました。
確かに、物事の神髄を指摘されていると思いますね。
落語などの話芸も、先人の知恵をくり重ねで、無駄を排除して、一つの話芸としての完成に近い芸道になるんでしょうね。
落語や講談、浪曲は、世界的に見て珍しい話芸だと聞いたことがあります。
外国人には、落語の持ちネタは、共通で、それを同じように演じているだけなので、オリジナルがないんでしょうね。
確かに、話芸は、噺のストーリーは、同じでも演者の工夫と言うのがあります。
私の好きな「桂 吉朝」の「時うどん」も、時代によって全く別物に仕上がっています。
話の中で、出汁の話を強めたり、麺の加減を変えたりして、吉朝さんの生き様のように、いろんな「時うどん」があります。
落語にはそうした演者の腕によって、同じストーリーでも、聞き手によって全く別物「時うどん」を楽しめます。
どうしても、麺類を食べるし所作ばかりが、落語の面白さみたいに捉える方も居ますが、そんなことはないと思います。
寒い時期に聞いた「時うどん」を聞いたら、無性にうどんが食べたくなります。
落語には、食べ物の噺も多いと聞きます。
寒い中、懐寒い2人が、屋台の1杯のうどんを食べる、本当に真冬の寒い時期になのか、初冬の頃のうどんなのか、いろいろと演者の話によって、ストーリーの輪郭の描き方が違います。
同じ話を何度聞いても、笑えるのも、これまた話芸です。
米朝さんの「世帯念仏」と言う落語の最初に、門跡の高僧の唱える「南無阿弥陀仏」は、長いですが、それも神主家の生まれたの米朝さんが唱える「南無阿弥陀仏」は、船場の大きな仏壇の前で聴くような、天から1万円札が降って来そうな雰囲気がしっかり感じ取れます。
不思議な話芸です。
そして、落差を付けての長屋の信心のない親父の「南無阿弥陀仏」と、同じ人物が唱える「南無阿弥陀仏」とは思えませんからね。
笑いとは、落差でもあるんでしょうね。
落差が大きいほど、笑いも大きいでしょうからね。
あの米朝さんの「南無阿弥陀仏」は、会得したいものです。
他意はありませんよ。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。
総索引 https://kantoshoue.hatenablog.com/entry/35343705