2008年2月15日からYahooでブログを始めてから6000日になりました。
途中でYahooブログが閉鎖になって、はてなブログに2019年8月6日に引っ越して来させて貰いました。
そして、通算期間で、ブログを始めてから6000日になりました。(ブログ投稿日数)
あくまで通過点です。

とは言え、独身だった私が、嫁と出会って、縁あって夫婦になって、少しして娘が授かってと、観音様のご加護を強く感じるこのまる16年経過した、17年目の夏です。
濃厚な私の人生の切り抜きです。
また、後1週間ほどで、ブログ連続日数が、こちらも6000日になります。
記事数の方は、それほど伸びまていませんが、それでも、この記事を含めたら6871記事になります。
続けることをよく聞かれます。
また、記事に書き事が、よく毎日続けられるかと、聞かれます。
あまり無理をせずに、自分の気持ちのままに書くことだと思います。
ストレスに解消であって、それが苦痛にならないように、いろいろと工夫もします。
書ける時に、4つ以上の記事を書くこともあります。
とりあえず、逃げ道を作る必要はあります。
仏教では、喜捨の法と言うのがあるやに聞きます。
喜捨とは、いろいろな意味がありますが、仏教には、いろいろな戒律もあります。
時に、とある仏教徒の僧侶は、お酒が禁じられています。
多く禅宗の寺の門前に立つ結戒の「不許葷酒入山門」は、酒や精の付く食べ物は、修業の邪魔になるので、持ち込めません。
でも、昔から、お酒を般若湯として、吞まれることもあります。
戒律違反と言うのは分かっていても、少し酒を吞んだからと言って、仏の道が閉ざされるのも不思議です。
だって、体操選手で、オリンピックにほぼ内定しているような選手が、喫煙をしたからと言って、オリンピックに出られないと言うのは、やり過ぎです。
もちろん、たばこの問題でなく、これは違法なドラックなら、話は別物です。
喫煙した選手を擁護しているのではありません。
実績や努力とオリンピックとの出場を秤に掛ければ、今回は少しやり過ぎだと思います。
こうした問題には、その対応の加減が難しいです。
要するに、仏教徒が行う目的とは何なのか、それを思えば、多少酒を吞もうと、肉を食べようが、とりあえず、今日は仏教徒辞めたと言って、酒や肉を喰らえばいいだけです。
いい加減だと思うかもしれませんが、仏教徒としての到達点の長安への道は遠いです。
毎日毎日歩くだけです。
疲れたら休んで、気持ちが持ち返せたら、また歩むだけです。
長安への道のりは、特急列車とか飛行機とかの、特別楽な方法は存在しません。
嫌になったら、休めばいいだけです。
歩き続けると、きっと到達できます。
続けて行くことが出来ると思います。
ブログで言えば、気分が乗らない時にも、続けられる方法があります。
先に買ったように、気分の乗っている時に、数多くの記事を先に投稿するのも一つの手です。
面白いとか、為になる記事にを書こうと思わずに、自分の信念に基づいて、何かを書き知るしすることです。
ブログとは、「ウェブ」「ログ」の二つの言葉から成り立っています。
ウェブ上に、何か書き記すだけですす。
それを、日記だと言う方も居られますが、日記形式でもいいし、何かのデータの書き記しでもいいと思います。
それは、自分にとっての幸福と似ています。
自分の行いが、自分のみかえりを求めてはなりません。
子育ても同じです。
老後の世話をして貰うために、子育てしているわけではありません。
子供が授かってからは、親として子供を育てているだけです。
自分も、そうやって親に育てて来てもらいました。
人間の営みです。
ただ、そこには、日々ごとに親と子供の時間を過ごして、愛情が成り立っていると思います。
贅沢な暮らしと、子供と親の愛情の深さは比例しません。
むしろ反比例になる傾向です。
忙しく働く親と子供と過ごせる時間は、反比例して、少ないです。
世の中の親子も、いろいろです。
どれが正解とかないでしょうが、日々の暮らしの中で、ささやかな幸せを感じられることが、何より幸せですし、その幸せに気づけたことが、何より幸せだと思います。
あくまでも、幸せになると言うのが目的なら、例えばブログは、その手段です。
目的と手段の関係を鑑みれば、自ずと答えらしきものは、うっすらと見えてきます。
あくまで、私のブログの目的は、「よかった探し」です。
仏教的な思考も、観音様のご加護も、これらはプログのアイテムなんです。
どうすれば、幸せになるのか、もっと言えば、仏の発願は、一切衆生を救う事なんですよね。
とりあえず、通過点です。
無理せずに、頑張るだけです。
1週間後に、今度は、連続投稿日数の6000日がやって来ます。
それも、通過点です。
皆様にご拝読頂いていることが何よりありがたいです。
感謝いたしております。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。
総索引 https://kantoshoue.hatenablog.com/entry/35343705