夕刻、8歳児のゆうゆうと散歩に出かけます。
私にとっては、穏やかな貴重で幸せな時間です。
季節も秋と言うのに、3連休中は秋空でありながら、汗ばみました。
少し離れた施設で、ハロウィーン的な子供の催し物があったりと、それなりに遠くに行かずに家族で楽しめました。
ありがたいことです。
遊歩道に、白い曼殊沙華が咲いています。
彼岸花や、葬式花と呼ばれる少し足かせのある花でもあります。
球根部に、毒がある事でも有名です。
でも、この花は自生しませんので、人間が意図的に植えた植物ですね。
何の為にと言えば、飢饉対策です。
この花があると言うことは、多少なりとも、飢饉の危険が有った事を意味する植物でもあったと言えます。
いつものこの花の美しさと相反する所に、この花の不思議な所を感じます。
経典の中、法華経にも出て来る花と関係がある花ですね。
曼殊沙華は、サンスクリット語で「天界に咲く花」という意味があるように聞きます。

難しい事は凡夫には分かりませんが、花は美しいです。
何とも言えずに、この季節の時期に咲く花です。
近くには、赤い曼殊沙華もありますし、黄色い曼殊沙華もあります。
どれもこれも、単純に綺麗な花です。
色眼鏡で見ることも出来ますが、何も考えずに、この花は自然の摂理の中で、誰に教えて貰わずに、この季節になったら、美しく咲きます。
人がそれを見て、美しいとかそうでないとか言うだけです。
よく見れば なずな花咲く 垣根かな by芭蕉
貞享三年の春、芭蕉43歳のときの句とあります。
なずなは、ぺんぺん草とも呼ばれます。
名前も、なずなと言うのと、ぺんぺん草と呼ばれるのは、全く別の花にも感じます。
名前の妙です。
名は体を表すとも言います。
落語の『天神山』はヘンコな男の噺です。
場所は、一心寺と安居天満宮を舞台らしいです。
人様が、花見に行くのに、ヘンコな男は、墓見に行きます。
飲食も変わっています。
尿瓶酒に、お丸弁当です。
尿瓶も新品なら、花を生ければ、花瓶になります。
酒を入れれば、尿瓶酒になります。
他の落語にも、尿瓶酒は出て来ますね。
喩え、新品の尿瓶と言えども、触手は伸びません。
確か、刑法の判例に、和食屋の宴会で、酔っぱらって、徳利に尿を居れたら、その徳利は使い物にならないので、器物損壊罪にあたると言うモノがあったと記憶しています。
名は体を表します。
ヘンテコな名前を付けると、その機能に関わらず、物としての価値は変わります。
名は、それだけで重要です。
昔、子供に悪魔ちゃんと付けて、役所で出生届を拒否された事件がありましたね。
印象的ですが、事件としては、黒いピーナッツのロッキード事件では、田中角栄元総理が被告になった世間を騒がしましたが、田中角栄と言う名の子供がいじめられて、名前の変更が認められた裁判も有名になりましたね。
家庭裁判所で、名前を変更できます。
名前を変えると言っても、なかなか簡単ではありません。
原告被告と言う形式でなく、裁判官の審尋を受けて、裁判官が決定されます。
変更理由が、いろいろとありますが、変名奇名によって、姓も名も変更できます。
いじけられたからと言う理由で、戸籍の名前を変えられると言うモノでもありません。
このブログでも、何度も書いていますが、私も名前を変えたことがあります。
時々居られます。
でも、私の名前は、これで戸籍上3度目の名前です。
紙の戸籍でしたので、2度線を引かれて削除して、次に変更するスペースがない状態です。
データ上の戸籍では、それは分かりません。
私が18歳の時に、一人で家庭裁判所に行って、手続きをしました。
もちろん、父母には了解しています。
それでも、戸籍の名前を変えるには、準備期間に10年近く掛っています。
ですが、裁判所の手続きは、数ヶ月ほどです。
証拠を持って、裁判官と審尋されて決定です。
裁判所の決定書を持って、市役所に行って、変更手続きすることになります。
「名前をかえたいのですが・・・・」
と私が受付に行くと、ハンコで押したみたいに、「名前はそう簡単にかえられない。裁判所に行って・・・・」、すぐさま決定書を見せると、バツの悪そうな役所の年配の男性の職員でしたね。
子供だから、バカにしていたのでしょう。
役所の人間の嫌な目線でしたね。
この後、役所のバカげた悪行があって、戸籍の名前も3回目の変更になった次第です。
イカっても仕方ないですが、私の戸籍が悪役人によって、汚されました。
担当者や課長の詫びもありません。
子供だからとバカにしたのでしょうね。
こんな大人にならないように、今日まで生きて来たつもりです。
名は体を表す、いいようで不思議な喩えです。
色眼鏡付けずに、花の美しさ位は、鑑賞したいですね。
ぺんぺん草と言う別名のなずなの花にも、美はあります。
人の目の行かない場所にも、綺麗な花は咲きます。
それを見つけられたら、幸せです。
そんな幸せを多く見つけられたら、もっと幸せです。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。
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