三重に来たなら、海を見に行きます。
我が家の定番です。
今年の夏にやって来た砂浜です。
遠くまでよく見渡せます。
見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮
新古今和歌集のある有名な定家卿の和歌です。
でも、浦の苫屋にもいませんし、海も見ていません。
机上の空論的な趣のある秋の情景ですね。
この和歌に対するモノなら、やはり、同じ一門の家隆卿の和歌でしょうね。
花をのみ待つらん人に山里の雪間(ゆきま)の草の春を見せばや
普通の人の感じない所に、春を見つける趣向です。
目線を避けた所に、新しい美があります。
人の生き方にも、侘び寂びの茶道にも通じる感覚です。
和歌の世界も時代を越えて感じる世界観があるように感じます。
伊勢湾を眺める浜辺で、9歳児ゆうゆうが戯れています。
浜辺と言えば、あの短歌でしょう。
「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」(石川啄木)
でも、東海と言っても、三重、愛知、静岡あたりの海かと思いきや違う設定です。
私の同門の方に教えてもらった、学生時代に友人がテストの時に読んだ短歌を思い出します。
上の句は、「答案の孤独の磯の白紙(しらかみ)に」うる覚えて忘れましたが、下の句は「われ泣きぬれて紙(かみ)とたわむる」だったとうっすら記憶に残っています。
テスト中の孤独な雰囲気と必死に問題と戦って、答えを模索している様が目に浮かびます。
人とは、本来孤独なモノと心得ています。
生まれて来るも、死ぬるも一人です。
何とも孤独な感じがしますね。
確かに、私も年を取ってから子供が出来たものですから、娘が成人しての年齢を考えると、不安が募ります。
元気で生きた居てやりたいですね。
娘も、家族と過ごした時間だったり、旅行に行った記憶が残ってくれれば、これ幸いです。
9歳児ゆうゆうが、浜辺を走って、砂浜に落書きしている様は、何とも言えず、印象的でした。
私にとっても、家族にとっても、ありがたい時間です。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。
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