''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家のランチタイム  刻みとワカメのそばの一杯

その昔、『一杯のかけそば』と言う話が、世間でも有名になって、突然国会でも、朗読されたことがあったように思い出たします。
栗良平氏による日本の童話であり、同作を原作とした日本映画作品にもなりましたよね。

 

時代は、1988年当時、15年ほど前の12月31日、札幌の街にあるそば屋「北海亭」での出来事から始まる。
そば屋にとって一番のかき入れ時は大晦日である。

年の瀬や・・・・という感じですね。

お客さんは、2人の子どもを連れた女性で、歳と10歳くらいの男の子、1杯のかけそばを3人で食べると言う所から始まる話ですね。


この光景を思い出すドラマがあります。
そうあのドラマ『北の国から』の名台詞の一つを生んだシーンです。
「子どもがまだ食ってる途中でしょうが!」と、五郎(田中邦衛)さんが店員(伊佐山ひろこ)さんに言うシーンです。


何とも対比的な大人1人と子供2人の設定です。
もちろん、こちらは閉店間際のラーメン屋です。

 

田中邦衛さんと言えば、今の若い方は、ワンピースの海軍大将の黄猿に似ているかもしれないと思うかもしれませんが、この方が本物で、黄猿は、この人を模して作られたキャラクターです。
最初の三大将もすべて俳優さんを模して居られるのは、ご存じでしようが、本物を見たことがないと、不思議な感じがするでしょうね。


そうそう、私も学生時代、ラーメン屋でバイトしていました。
深夜2時までのお店でしたね。
深夜の様子を見ながら、1時間前から閉店作業に入ります。
そう営業しながら、片付けの段取りもしないと、閉店してから片付けすると、午前3時は回ります。


そんな中、閉店の5分前に電話が掛かって来て、今から行くので、餃子5人前をお願いしますと言うモノです。
最初は、常連さんですから、毎回延長するのですが、慣れて来ると到着するのは、2時15分くらいになって、最後には、いろいろとトラブルになっていたのを思い出します。
ラストオーダーは、30分前にして、最後のオーダー確認して、すぐにガスの火を通すようにしていました。


そうしないと、ラーメン一杯くらい作れるだろうと、その手の筋の方に言われたこともありましたね。
店の少し裏てに、その手の事務所があったのも思い出します。
いろんな世の中の縮図が、ラーメン屋の深夜に暮れ返します。
それも含めて、人生勉強したと思いますね。


一杯のラーメン、一杯のそばにもいろいろな思い出があります。
人情噺ではありませんが、深夜のお酒がいろいろな聞けましたよ。

そんな話から、我が家のランチタイムの話です。
手軽にランチを食べようとなると、麺類が手軽でいいです。
インスタント麺でなく、茹でそばとネギと揚げさんとワカメがあったので、入れてみました。
熱々なので、白く湯気が上がっています。

 

かけそばでなく、中に入れた方がもっと美味しいですからね。
でも、本当の美味しさは、麺の旨味であります。
もちろん、そばの汁も味の左右する要素ですが、やはり、麺ですよ。
ラーメンも、麺が美味いと美味しいです。
スープの旨味や麺との相性が次に来る要素だとも感じます。


スーパーの茹でそばですが、熱々のランチのそばは美味いです。
落語の『時そば』みたいに、そばを啜る仕草や所作は、難しいです。
落語のような麺の食べ方はしなせんからね。
でも、世界の中では、麺を啜ると言うのは、マナー違反が多いです。
でも、日本人の熱々のモノを、時に麺を熱々のまま食べる、啜るというか、手繰る所作や音は、リズミカルと、格好よく食べるのは、なかなか難しいモノです。


日本の漆器は、本当によく出来ていると思います。
料理屋さんてバイトしていると、ものすごい芸術品のような塗りの椀や器は見かけるとこがよくありましたね。
洗い場もやりましたので、扱いの難しさはよく分かっています。
キズなどを付けないように、最新の気遣いをしますが、中には、運ばれてすぐに椀が開かずに
話などしていると、蓋が開かない事がありましたね。


椀モノも、軽く蓋をしますので、本来すぐに開けるか、軽く椀の端に持つと開きます。
とても軽いんです。
木地師が、極限まで薄くし椀の生地に、塗師が保温性を高めるように塗って行って完成したのが、ジャパニーズと呼ばれる芸術的な漆器です。
仲番と呼ばれる方が、器の用意をしますので、身近で見ていたので、いろいろと器の勉強になりましたよ。


今回の写真の朱塗り風の器は、百均モノですが、雰囲気は楽しめます。
朱塗りの雰囲気も好きです。
根来と呼ばれる使い込んだ風、根来塗もいいですね。
風と言いましたが、本来道具として、修行僧が使っている間に、塗りが剥げて、そこに風情があるんですよ。
器も、金と漆で補修した金継ぎの技法も、日本的な感覚の美です。


中には、「与太郎」と呼ばれるような継ぎ接ぎだらけのような名品もあります。
名物と呼ばれる茶碗の中にも、金継ぎされた名品もありますね。
何点か、逸翁美術館で見たこともあります。


庶民の中でも、壊れた鉄鍋は、鋳掛屋と言う職人さんが、直して使うのが、一般的でしたね。
春団治さんの落語『鋳掛屋』と言うのは、その当時を切り抜いたような職人さんの所作と、子供の仕草の対比が、演者の見せ所ですね。
天満橋の1月の十日えびすに行った時、堀川戎に行ったら、春団治師匠が座って居られましたからね。


江戸期から明治辺りまで、日本のエコな暮らしが、集約しています。
子供の頃、主婦は、買い物籠を持って、買い物に行っていしまたよ。
サザエさんの風景です。
また、豆腐も売りに来た時、鍋か何かの容器を持って帰るのが普通でしたね。
私の生まれた時代までは、普通にエコな時代でしたね。
一升瓶やビール瓶やジュース瓶も、酒屋に持って行く、返金されるんです。


最近、家で瓶ビール飲まないんで、その辺りの事が分かりません。
もっぱら、缶の発泡酒ばかりです。
日本酒は、資源ごみの瓶の日に出していますからね。
それが普通になりましたからね。
日本人は、もともとエコ暮らしだったのに、使い捨ての生活に慣れて、ゴミが増えるばかりで、環境には良くないですね。


私も、エコバックは鞄に入れていますので、何か買ったら、エコバックに入れて持ち帰って居ます。
少しでも、エコ暮らしには貢献できています。
そうそう、うどんそばの麺も、注文した分だけ、ナイロン袋に纏めて入れてくれていましたね。
スーパーの袋入りではなかったです。


年を取ると、昔の事をよく思い出します。
もちろん、いい事も悪い事もですよ。
子供の頃、電車の中でタバコも普通に吸っていた時代があるんですよ。
そんな昭和も遠い遠い昔の話です。
そばの一杯からいろいろな記憶が蘇ります。
ありがたいことです。


親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。                
ありがたいことです。              
              
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。                
ありがたいことです。                
                
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。                
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。                
ありがたいと感謝です。                
                
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