今朝も3時半過ぎに起床して、いつものように4時30分過ぎには、日課の散歩に出かけました。
本当は、4時過ぎに出てもいいのですが、少し暗い場所があって、後ろから無灯火の自転車と接触しそうになったことがあり、点滅灯をバックに点けて歩くようにしています。
また、4時半過ぎなら、ほのかに明るくなって、そうしたトラブルを回避できます。
朝から事故っても困ります。
健康のために歩いて、事故ったら、何をしているのか本末転倒です。(笑)

いよいよ、5月14日から始めた「日に8000歩」の散歩も、今日の段階で連続達成記録は75日になりました。
老化は、足腰の衰えからと言います。
大げさに言うなら、突然、天からの啓示を受けたような感じです。
そんなことあるのって、あるもしれませんし、白日夢だったかもしれません。
私の勘違いなのかもしれませんね。
でも、そう私には受け止められたような感覚です。
その昔、仕事関係の社長さんに呼ばれて自宅に伺ったときに、その社長さんにお不動産が変異して、私は初めてお不動様お会いして会話しました。
そんなこともあります。
不思議な体験でしたね。
世の中には、不思議なことが多いですよ。
人知を越えたところに不思議な世界があります。
「この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ」
この言葉は、アントニオ猪木さんが引退スピーチで引用した詩の一節として有名です。この一節は清沢哲夫氏(後の暁烏哲夫)の詩「道」の一節であり、迷わず行動すること、一歩踏み出すことの大切さを教えてくれる言葉だと聞きます。
そう言えば、ハルクホーガン氏り訃報がネットニュースになっていましたね。
ある程度、人は何かの力で支えられているように思います。
偶然はよくありますが、偶然の偶然は、必然ですよ。
何かの力で、導かれているように感じます。
天からの啓示かもしれません。
私の場合には、観音様の存在です。
私49歳と嫁42歳(1ヶ月もしないで43歳)で遅い初婚同士の結婚して、すぐに子供が授かって、私50歳で父親に、嫁43歳で母親になった次第です。
もちろん、一度も不妊治療なんてしていないですよ。
晩婚ですら、「お子さんは?」と言われることなく、突然に子供を連れて嫁の実家に帰った時は、ご近所さんから嫁に「結婚したんやってね。旦那さんは?」言われて、「主人と娘と一緒に来てます」と行って、あの驚いた表情と、娘を見せたときに、さらわれるようにいきなり抱っこされていました。
そうしたことが何度かありました。
これも不思議なご縁です。
晩婚晩年夫婦に、子供が授かったのは観音様のお力です。
偶然でなく、ちゃんと生まれて来た娘に、観音様の天の証明する関連の数字が出ていました。
生まれて時の身長は、33㎝でした。
そして、嫁に関する数が体重出ていました。
娘の出生は、偶然でなく、必然だったと言うことです。
観音様の存在を身近に感じながら、暮らさせてもらっています。
困ったことがあると、観音様の名を一心に唱えます。
解決することが多いです。
9歳児ゆうゆうを成人するまで、健康で居ないといけないという新しい使命があるようにも感じます。
連続達成記録75日も、あくまでも、通過点です。
頑張ったりしません。
必ず持病の痛風発作で、歩けない時もあるはずです。
そんな時も、何も気にしないで、続けられていけたらありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。
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