冷蔵庫にさつま芋があったので、夜にカットして、水にさらして、準備してから、朝に嫁がアサヒ軽金属の圧力鍋で、さつま芋ごはんを炊いてくれました。
朝の炊きあがりの時間を利用して、私は朝の散歩に出かけました。
膝の痛みで、散歩に行けなかったこともありますので、とりあえず体調を見ながらの朝の散歩になります。
家帰って来たら、炊きあがっていたみたいで、神棚と仏壇に備えてから、家族で頂きます。
9歳児ゆうゆうを起こして、3人で朝食にさつま芋ごはんを頂きました。
甘くて美味いです。
だし昆布も一緒に炊き込んでいます。

茶碗は、嫁の茶碗です。(私と同じ図柄の夫婦茶碗の小)
食事制限をしていますので、大きな私の茶碗でなく、私は小さな器に入れて、頂きました。
写真は、映えるようにと、取り分けていたさつま芋を、別個に盛っていますからね。
半分は、ごはんの中に、入っていますが、写真撮影となると、思った位置にさつま芋が鎮座してくれません。
人生そんなものです。
こんなさつま芋から人生訓を説こうとは思いませんが、上手くいかないのが常ですね。
徳川家康公のあの人生訓の「東照公御遺訓」として記されています。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
今、ビジネス小説としては異例の大ヒットとなった『もしも徳川家康が総理大臣になったら』が映画化されたと、プライムビデオでCMしています。
それにしても、深い遺訓です。
私的には、「薄雪物語(うすゆきものがたり)」の和歌の方が、しみじみ心に伝わります。
世の中は 月に叢雲 花に風 思うに別れ 思わぬに添う by 作者不明
大意としては、世の中と言うのは、月を見ようとと雲がかかってしまい、花(桜)が咲いたので花見をしようと思うと、風が吹いて花を散ってしまう。好きな人とは別れてしまい、言い依って来て、それほど好意を持っていない人と夫婦になって添い遂げる。何とも皮肉なものだなぁ。
世の中はそういうものです。
そして、結果が悪かったかと言えば、それは個人の気持ちの持ちようであり、人生上手くは行かないものだと痛感することが、人生訓だと思います。
私も49歳で、嫁42歳の晩婚夫婦として、生活を始めましたが、すぐに子供が授かって、私は50歳で父となりました。
子供との生活も大変ですが、それも加味しても、嫁と子供とささやかな幸せをかみしめて暮らさせてもらっています。
ありがたいことですよ。
こんな人生もあるんですね。
不思議な体感をした感じです。
しみじみとさつま芋ごはんを、朝ごはんに3人で食べながら、感じる幸せもありますからね。
九里より美味い十三里
さつま芋の別名が、十三里ですね。
計算式は、9里(栗)+4里(より)=13里です。
料理の世界では、〇十(まるじゅう)と暗号的な表記になります。
薩摩島津家の紋ですからね。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。