子供の頃に、日曜日の御膳10時ごろのテレビCMと言えば、インスタント焼そばのイメージが強いです。
焼そばのTVCMのイメージソングと言えば、やはり、♪ 「日清焼そば焼・こ・う!」というフレーズが流れるCMでしょう。
でも、日曜日の午前10時頃のTVCMは違っていました。
庭で鉄板焼きの焼くそばを作る家族と親父がメインです。
明星 鉄板焼きそば だったのかなぁ 今でもはっきりと思い出せません。

まあ、子供と食べるので、インスタントでなく、野菜と豚肉のたっぷりのソース焼きそばです。
具材が多過ぎて、麺が見えません。
野菜も豚肉もたっぷりの焼きそばは、豪華です。
お約束の岩下の紅ショウガも添えています。
食べる直前に、鰹節もフリフリします。
CMの焼きそばとはだいぶ違います。
それもありです。
とは言え、私の中では、『仮面の忍者 赤影』の再放送番組のTVのCMだったような気がします。
オープニングで、ナレーションが入ります。
豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖の南に金目教という怪しい宗教が流行っていた
不思議な子供向けのヒーロー物時代劇ですからね。
当時は、子供向けの時代劇設定は多かったです。
「快傑ライオン丸」もその一つだったと記憶しています。
ただ、子供向けのヒーローモノで、豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎とかの歴史上の人物の名前が出るのは、珍しいです。
何故、秀吉(藤吉郎)が木下の性を持つのか、父が木下弥右衛門と言う百姓で戦時には足軽だったと言うのが、長く居られていましたが、違いますね。
弥右衛門は、百姓で足軽だったので、苗字はありません。
では、何故かと言えば、妻のねね(後の北政所)は、浅野長勝の養女で杉原定利の娘ですが、別名が木下定利であります。
もともと、木下と言う姓を使っていたのでしょう。
婿として杉原家に入ったとも言われています。
それが証拠に、北政所ねねの甥の後に備中国足守(2万5千石)の大名の木下家定の木下の姓を使っています。
嫁の実家の名前を使ったのではないかと思われます。
足軽になって、苗字がないのは、不便です。
後にの出世を考えても、姓にはこだわったと思われます。
後になって、朝廷から、豊臣と言う新しい氏を貰います。
名は、大事ですからね。
そんなこと言いながら、戸籍の下の名前を3度も変わったの、私です。
珍しいと思いますね。
家庭裁判所の一人で向いて、申請をして裁判官の審尋を受けて、決定という正式な裁判の結果が出てから、市役所に申請に行くわけです。
そうすると、決まったように戸籍の役所の係りの方が、大変偉そうに、「名前は勝手に変えられないので、裁判所の手続を受けてから・・・・・」、決定書を見せると、目を白黒にして、撃沈無言になりました。
18歳の高校生だと上からの役人の目線です。
その日の内に新しい名前が戸籍の名前になりました。
普通では、10年近くかかります。
私は、8年くらい掛かりました。
家裁への申請からの年月ではありません。
最初に、新しい名前を通称名として使う事が必要になります。
いろいろと証拠の8年前から使っていると言う手紙や年賀状、学校での使用履歴などを積み上げます。
もちろん、家裁で却下決定されることもあります。
いろいろと山あり谷ありでしたが、とりあえず、新しい戸籍の名前を使って、原付免許も取れましたし、新しい無線の免許の変更もしました。
同時に、当時紙の免許から携帯できる運転免許みたいな免許に変更申請できる時期でしたからね。
序に変更しました。
当時の無線の免許は、パスポートみたいな感じの免許でした。
でも、無線の免許は更新がありませんので、子供の時取った方は、子供のままの写真です。
私も、18歳ごろ清々しい青年の写真のままです。
いつも別人だと言われます。
それでも、昔のインスタントの焼きそばの味が懐かしいです。
今でも食べますからね。
普通の焼きそばとは、全く別物です。
インスタントラーメンと本当のラーメンが別物だと言うのと、似ているのは世の常です。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。