昨日の父のどうお過ごしでした?
母の日に比べて地味な父の日と言われます。
商戦でも、父より母が優位です。
父の威厳が無くなったのは、やはり、給与の振込でしょう。
これは大きいですからね。
昭和の昔、父の給料日は、現金支給が普通で、封筒で手渡しされていたものです。
私も最初のバイトも、意外と現金支給でしたね。
料理屋さんとかは、最近まで現金支給の所も多かったです。
振込しに行くのも、手間ですね。
時代の流れの変化は、あの3億円事件だとも言われています。
もちろん、小さな子供でしたが、リアルタイムでもありました。
記憶などはありません。
昭和の大事件の 「あさま山荘事件」はテレビ放送されていたのを、今でも記憶していまいます。
すべての放送局が同じ事件の生中継だったと記憶しています。
はっきりとした記憶です。
父の権威が下がったままです。
ですから、父の日は、盛り上がらないのでしょう。
とは言え、我が家では、朝から嫁が赤飯焚いてくれました。
祝いの行事では、赤飯を朝から炊いてくれます。

アサヒ軽金属の圧力鍋の力です。
炊き立ての熱々の赤飯は、なかなかインパクトがある美味さです。
もちろん、10歳児のゆうゆうも大好きです。
家族で頂きます。
昼には、赤飯のおにぎりが作られますので、私の担務は、おにぎりに合う食事です。
麺類が多いです。
小山になっていたおにぎりの山も、残り少なくなります。
地域によって、赤飯もいろいろあるのは知っています。
日本中すべてが、小豆ではありません。
我が家のは、定番の小豆の赤飯です。
ある意味贅沢な食べ物ですからね。
10歳児ゆうゆうの中では、赤飯は買ってくるのでなく、家で朝に炊くものとなっています。
同時に、ピザもバイクの宅配でなく、家で作るものとなっています。
それも、形は丸でなく、四角いのがピザです。
世の中の常識と、我が家の常識に違いがあるのに、驚かされることがあるようです。
それもまた乙なことですよ。
それじゃ、この赤飯も乙な味と言うことではありません。
平蔵様じゃあるまいし、乙な味と言えば、居酒屋「加賀や」の芋膾を食べたときの感想だと記憶しています。
居酒屋「加賀や」の芋酒は、別格に精が着くようです。
渡り中間が言うには、「(この芋酒を飲めば)夜鷹の二人や三人・・・ 」ださ.そうです。
この年にしては、羨ましい限りです。
もちろん、居酒屋「加賀や」の主人は、独り働きの盗賊「鷺原の九兵衛」です。
私的には、米倉斉加年さんが良かったと思います。
『ちりとてちん』のおじいちゃんとは、全くの別人です。
こんな偏屈な爺さんでも、落語が好きなのは、不思議です。
話芸の妙でしょうね。
「野辺へ出てまいりますと 春先のことで、空には雲雀(ひばり)がピーチクパーチクさえずって、下は蓮華(れんげ)、たんぽぽの花盛り。陽炎(かげろう)が、こう燃え立ちまして、遠山にはパーっとかすみの帯をひいたよう。麦が青々と伸びて、菜種の花が彩っていようかという本陽気。
やかましゅうゆうてやってまいります。その道中のよーきなこと」
劇中では、落語家・徒然亭草若さんが、落語の演目『愛宕山(あたごやま)』に出てくる情景描写のフレーズですね。
何とも言えず、景色が見えるような陽気さです。
日本の田舎の原風景です。
全国の愛宕神社の総本社であり「火伏せの神」として信仰されています。
同社で授与される「火迺要慎(ひのようじん)」のお札は、京都のキッチンなどの火の取り扱う場所に、お札が貼られます。
でも、昔ながらの竈(へっつい)さんのあるような京都の町家の台所と言う感じがしますね。
最近のシステムキッチンでは、貼り場もインテリアと溶け込むのは、難しいかもしれませんね。
今時なら、食中毒にも、注意が必要な時期になっています。
そんなお札はないでしょうからね。
食事も家族で頂けることに感謝です。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。