''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

鴨とネギを背たろうて。

12月に入って、この時期無性に鴨が食べたくなります。
鴨はネギと相性がいいですね。ネギだけでなく芹(せり)とも相性がいいです。
どうも個性の強いもの同士、仲良しなんでしょうね。鴨と言えばネギです。
鴨と言えばそばと関連付いてしまって、結論は鴨せいろそばもしくは鴨なんばということになります。

大阪は京橋、長い連絡通路をずずずいーと大阪城に歩みを進めます。
幾度とビルを進みて、松下IMPビルの一階にそば屋をネットで発見です。
ここに目的の一つと定めて水都、大阪にやってきました。京都から1時間もかかりません。

昼時をさけ、入店です。
まず、そば茶と揚げそばが出されました。なかなか気が利いています。
これは期待出来るとこころも高まります。

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もちろん、鴨せいろの定食を注文しました。
それにそば屋とくれば、池波正太郎氏のそば屋に来たなら、まずはあれの言いつけを守ります。
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お決まりですね。
まずは一献です。お酒です。燗にしてもらっています。
それにしても変わった酒器です。形からタボですね。
タボは燗にする酒器ですね。焼は立杭焼もどき、猪口は紅志野焼とアンバランスです。

川柳に「酒は燗 肴は刺し身 酌はタボ」と言うのがあります。
ときに、肴は粋になんてのもあります。そこは代わっても酌はタボです。
タボとは美人にことですね。ちょうど着物を着ている後姿がタボに似ています。
帯に相当する部分がタボにはあります。

このタボらしき酒器には帯に相当するところがありません。
どう見ても焼き鳥屋さんの串容れです。

それもそのはず、厨房から声が漏れてきました。
「お酒どれにいれるの?」
「その辺のに、あるでしょう」
そうです。適当な容器に入れて出してもらいました。
どう見ても注ぎ口に切(切り口)がありません。
猪口が小さいので、タボが厚手で注ぐとこぼれます。

その会話がなければ代わった趣向と思ったかもしれません。
どんな酒器でも酒に代わりはないです。燗もいい感じです。味もなかなかですよ。

でも、落語に出てくる尿瓶酒ぽいですね。
燗酒にしないと腹に壊すと言うご隠居さんとお供の番頭さん、ちょうど淀川を大阪から京都への船旅です。お酒は買っています。肴も用意しています。冬場で炭で暖もあります。燗には出来ますね。しかし、番頭さん肝心の酒器を忘れました。舟にはそんなものはありません。

行商の者が、たまたま尿瓶を扱っていました。もちろん新品です。と言うわけで尿瓶で燗を付けてご隠居さんご満足です。用意の料理もおまるに盛って、おまる弁当、尿瓶酒とシャレこみます。粋なのかどうなのか分かりませんね。
私はそこまで域にはなりません。

その落語の話を思い出しました。串容れ酒、ガラ容れ酒でしょうかね。
こっちなら粋も許せます。問題は鴨とそばですよ。
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温かいそばつゆに鴨の肉とネギとゴボウが入っています。
つゆもそれほど濃くなくいい感じです。
そばと鴨肉を共に口中にそっと納めます。ほのかに温かい鴨肉と冷えたそばが交じり合っていきます。鴨肉独特の香りが鼻をくすぐります。二の箸が今度はネギと鴨を口中に誘う入れます。やはり相性いいですね。三の箸には、そばとゴボウを口がお迎えです。すこし煮込んだ太目のゴボウも食感で主張しますね。

山椒も振ります。山椒のパンチの効いたジャブにふら付きます。なかなか鴨も楽しめました。もちろん合鴨ですよ。野鴨ならもっと血の匂いがしますからね。野趣が強いです。合鴨も悪くはなかったですよ。

しかし、そばはすこし期待はずれでしたね。打ちたて、湯であげの感じはありません。
そばは、少し思い描いて信州そばではなかったです。家で作ったざるそばと言った感じです。
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炊き込みご飯もおこげが入っていておいしそうでしたが、ジャーで温めていましたよって感じです。味もすこし物足りません。塩加減がイマイチですね。ぼけた味と言うのが的を得た表現ですね。出汁をもう少し効かせてくれれば、もっと美味かったですね。
香の物も信州そばなので野沢菜ですね。このそばの定食で1000円ほどでした。

まずまずは良心的でしたね。込んでいても合席もなかったですし、昼餉にはゆっくりすごせました。すこし辛口に書いていますが、全体的には普通においしいですね。
このそば屋、面白いのは塗り橋です。割り箸ではありません。そば屋では珍しいですね。
ということで今回も名前は出しません。
必ず、どのそば屋も二度は来ますので、次回には名前が出せるといいですね。

私の愛著『剣客商売 包丁ごよみ』(池波正太郎著 料理=近藤文夫 新潮文庫)の中の項目に鴨があります。
料理の本です。池波ワールドを現実の料理で盛り上げます。
この鴨の項目に、元禄15年12月14日吉良家討入り前、大石内蔵助・主税親子を交えた赤穂浪士の幾人かが、堀部家で鴨を食べた記述があります。

このとき、堀部家では、生卵を大量に鉢に割り込み、味をつけ、別に煎りつけた鴨の肉を小さく切って混ぜ合わせ、炊きたての飯にかけ、膳に出したと言う。(記述抜粋)

この料理に満足して、力を得て、主人の本懐を遂げ、赤穂浪士の名を後世にまでに伝えたことになったようです。歴史の影に料理ありですね。歴史の影に料理上手の妻がいます。

その本のくだりを記憶して鴨が食べたくなるのかもしれません。
鴨とネギを背たろうて、こうして大阪までやって来た男が、ここにいましたよ。
でも、それだけのことはありました。満足です。ありがたいです。鴨さん、ネギさんありがとさんです。

今日は少し長文になりましたね。
もっと書きたいのですが、ちょうど時間となりました。

最後まで読んで下さった心ある方に心よりお礼申し上げます。
ありがとさんです。